毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

習慣化する為に大事な事。ゴールよりプロセス。

毎日の生活の中で、色んな事を出来るようになりたい。その為に、それらを習慣化したい。でも、いざやろうと思うとけっこう大変そうな気がして、モチベーションが上がらず、そして結局何もやらないから、出来るようにならない…。そういう事ってありませんか。

 

習慣化するために大事な事は、最終的に到達するゴールより、習慣化するプロセスだという事です。今回はそういうお話です。

 

まず、何故習慣化するゴールの事ばかり考えてもダメなのでしょうか。厳密に言うと、ゴールや目標の設定自体は悪いわけではありません。でも、例えば、自分は料理が出来るようになりたい、料理をする事を習慣にしたい、そういうゴールを設定した場合、それ自体はそれでよいのですが、何を作るか、どのように作るか、どの食材を作るか、どのくらいの量を作るか、色んな事を考えないといけません。そうなると、料理をする事に興味が無かったら、料理をするという事自体が面倒くさいですから、それを想像するとできそうな気がしなくて、結局やらないと思うんです。

 

それより、習慣化するプロセスの方が大事という事です。もちろん、この場合、料理ができるようになるという目標があるかもしれませんが、それより、日々料理を作るプロセスそのものが楽しいもの、充実するものであることが大事です。実践するプロセスの体験が大事です。ゴールに向かって、今まさにくぐり抜けようとしているトンネルの中の体験を味わい尽くしたいという思えることが大事です。

 

勉強をする習慣についても同じです。例えば、歴史の勉強をして、歴史が分かるようになりたい。なので、歴史の勉強をする事を習慣化したいと思う場合があります。でも、歴史が分かる人間にはなりたいけれども、歴史の本を読むことは全然楽しくない、勉強すること自体は苦痛で仕方がない、というままでは習慣化は難しいと思います。歴史の本を1ページ1ページめくりながら、そして、1行1行を丁寧に読みながら、その文章から想像される歴史を味わい尽くす、そういうプロセスを大事にするという事です。

 

実際、習慣化するとは、その習慣のプロセスの毎日ですから、その習慣の実践そのものが楽しく充実したものになる事が望ましいです。確かに、何も考えず大した労力なく出来る習慣もあるとは思います。手を洗うとか、歯を磨くとか、そういう習慣は特に何も考えずにやっていて、気付いたら終わっている。そういう習慣もあると思います。料理や勉強も、習慣化しているときはそういう感じで、何の労力もなく出来るという場合もあるかもしれません。

 

でも、そうではない習慣化のアプローチもあります。それが、習慣そのもののプロセスの体験を楽しむ、充実したものにするという事です。習慣は、その実践の日々ですから。習慣そのものをよく見て、よく知って、丁寧にやっていく。そういう風にアプローチしていくと、料理や勉強も、習慣化出来るかもしれません。習慣化した結果ばかりにすぐ到達しようとせず、習慣のプロセスそのものを想像してその体験を丁寧にやっていく、楽しむ、そういう事を意識するのが良いと思います。