毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

憂鬱感は放っておかない。原因を探ってしっかり手を打つ。

最近、コロナ禍の影響もあってか、憂鬱な日々を送っていませんか。憂鬱感は、疲れているときやストレスを抱えているとき、何気に現れてくる時があります。憂鬱が長引いたり、頻繁に憂鬱になって日々が煩わされたり、憂鬱感の強度が上がってきたりしたら、ちょっと注意したいですよね。

憂鬱感は、不安感や焦燥感と同じように、非常に不快で煩わしく、長引くてそれがうつ状態になって、うつ病になっていったりしてしまいます。

憂鬱感は放っとくのが良くないのは、憂鬱感の原因が分からないために、憂鬱の原因が自分自身にあるのではないかと思ってしまうことです。「また憂鬱感が出てきたな。でも、いつもの事だ」とか、「ま、自分はもともと鬱っぽいから」とか、そういう風に放っておくと、その原因が自分にあると信じてしまって、自己否定的な感情になったり、自責の念に駆られたりして、自ら自分にうつ病のレッテルを貼ってしまい、本当にうつ病になってしまうという事です。

でも、憂鬱感という感情は、辛くて苦しいですが、身体が発信している大事だサインです。そのサインを見逃さず、あいまいにせず、しっかり対処すれば、案外憂鬱感を脱して前に進めます。そこで、憂鬱の撃退法をお話ししたいと思います。

 

まず、憂鬱の原因をしっかり探ることです。実際、憂鬱の原因は1個ではないことは多くて複合的だったりしますが、主要な原因が思い当たったりします。とにかく、憂鬱の原因は何だろうと考えてみて下さい。憂鬱の原因を探ることの大事さの1つは、原因を明確にすることによって、原因の矛先を自分に向けない事です。一番良くないのは、自己否定感とか自責の念によって自ら鬱になっていくことです。憂鬱の原因をはっきりさせることによって、問題を自分自身から正しく切り離して、自分のせいではないと感じられるようになります。

原因は、仕事上の何かだったり、人間関係だったりすると思います。例えば、人間関係だった場合、その相手が原因だから相手が悪いんだというように原因を追究することが本質ではなく、原因をはっきりさせる事そのものがまず大事です。そうする事によって、自分を自己否定せずにすみ、そしてどうすればいいか、とこの問題に向き合うことが出来ます。そうやって、一歩進むことができます。

 

原因が特定出来たら、最も良いのはその原因となっているやっている事をやめることです。そうすれば、心がすっと晴れると思います。その原因が誰かのせいだったりしても、相手に対する罪悪感みたい感情がそれを邪魔するかもしれません。確かに相手が明確に悪いという場合もありますが、悪者を非難することが重要なのではありません。また、罪悪感を感じることで自分を責める必要もありません。人間関係では、どうしてもたまに起きてしまうことです。恋愛と同じで、好きな人と付き合うことはできますが、好きではない人と付き合うことはどうしても出来ないということがあります。これと似たようなものです。付き合えない原因はおそらく突き詰めればありますが、それより、それが人間関係だという事です。だから、この場合も同じで、憂鬱の原因が誰かのせいだという事であっても、それで相手が悪いとかそういう風に考えて罪悪感に陥る必要はないのです。ただ、どのように距離を置くか、どのように関係を断つか、を考えるという事です。

憂鬱の原因を、すぐにやめるのは難しい、という事はあると思います。ただ、憂鬱のコップの水があふれている限り、憂鬱感は続きますので、手は打たないといけません。なので、軽減させることを目指すのがベターです。会社で、特定のだれかと顔を合わさないといけないことが憂鬱の原因だったら、その頻度をどうしたら減らせるか、それを考えるのです。手を打つと、問題が小さいながらも解決につながるので、心は軽くなります。

 

憂鬱になる原因は、たくさんあると思います。重いものが原因だったり、ちょっとしたことが原因だったりします。そういう色んな事が積み重なって、漠然と憂鬱感が立ち現れてきます。でも、あいまいのままにしておくのはよくありません。憂鬱感と向き合って原因を明確にする。そして、憂鬱感と自分にちゃんと線を引いて、自己否定感に陥らずに、手を打っていく。

憂鬱感でつらいとき、自分を責めず、自分を大事にして、原因を探ってみてください。そして、しっかり手を打ってください。きっと解決できるはずです。