毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

快に基づいて主体的自己を作る

現代は、世の中はグローバルに、そして、インターネットでつながっていて、情報も多くて、価値観も多様な時代です。そのような複雑な時代の中で、何を軸にして、どうやって生きていっていいか分からない。そういう事ってあると思います。

 

人が色んな生き方をしていて、生き方は色々と選べるし、やりたい事ややる事をやるだけのものも、世の中に揃っている。でも、何を選んだらいいか分からないし、それが自分にとって本当に良いのかも分からない。世の中には色んなルールもあって、上手く合わせていかないといけないところもあるし、でも、合わせているだけでは全然自分が生きている心地がしないし…。今の時代、本当に、自分がどうやっていきていくか、難しいと思うんです。

 

今回は、今の時代、どうやって生きていくのが良いか、考えてみたいと思います。主に3つで、自分で決める、自分の快に基づく、主体的な自己を作る、についてお話しします。

 

まず、どうやって生きるかですが、社会や周りの人に合わせるのではなく、自分で決めるという事です。自分で決めるというのは本当に難しい。分かります。私も出来ていると自信を持って言えません。でも、人間というのは、自分からはじまるという、ある種、神の視点が重要です。人間社会がこのように生きるべきと言っているから自分はこう生きる、という時代は終わりました。イデオロギーの時代は疾うに終わっています。ニーチェも神は死んだと言っています。神が決めるのではなく、自分が決める時代です。そういう意味で、まずどう生きるかは自分が決める、というところを出発点にしましょう。人生とは非常にハードボイルドなものです。

 

そして、自分で、どうやって生き方を決めるのか。その軸は何かというと、「快」です。快不快の快です。自分の快に基づいて、どう生きるか決めるのです。楽しい、うれしい、心地よい、快適、そういう、自分にとって快につながるものを中心にしていけば良いのです。現代は資本主義社会が一応中心の世の中です。資本主義社会の原動力は何かというと、ドゥルーズガタリの言い方を借りれば、人間の欲望です。「アンチ・オイディプス」の本の中では、人間の事を、「欲望機械」と言っています。つまり、自分の欲望に従って生きていけばよいという事です。資本主義社会の体制下では、自分の欲望に基づいて生きていくと上手くいくようにできています。もし共産主義社会ではあれば、自分の欲望ではなく、皆と一緒に上手く生きていく道も模索されたでしょうが、事実人類史では失敗に終わりましたので、実効性はありません。まずは自分の欲望、つまり、自分が快と感じる事に基づいて、生き方を決めていくのが良いと思います。

 

自分で生き方を決める、そして、自分の快に基づいて生き方を決める、そしてそれをベースにして、主体的な自己を作っていくという事です。自己は、人間として産まれてしばらくすれば完成するものではありません。自己は常に変化し、進化して、創られ続けています。周りの影響を受けようが、自分で創ろうとしようが、いずれにしても自己は創られていきます。ですが、社会や周りに合わせていると、自己は、社会や周りを鏡のように反映したものとして、ただ適応するように、進化し形成していくだけです。それも一つの生き方からもしれませんが、自分の生き方をハンドルしていくのが難しくなると思います。ですから、世の中や周りはどうあれ、主体的に自己を作っていく、という意識で生きていく事が良いと思います。自己は常に変容していきます。死ぬまで変容していきます。言い方を変えると、変容可能です。だから、何歳からでも、主体的自己を獲得しようと試みる事は可能です。

 

いかがでしょうか。この世の中、本当に複雑で、飲まれやすく、生きる指針を見失いがちです。むしろ、見失っている人の方が多いのかもしれません。でも、その事に疑問を持った時、また、どうやって生きていったらよいか分からなくなった時、上に挙げた3つポイントで考えてみるのはどうでしょうか。まず、生きる事を、「自分で決める」という覚悟を持つ事。そして、自分の「快」に基づいてそれを軸にして生きていくという事。さらに、死ぬまで変容可能な自己において、主体的自己を作っていくという意識を持つという事です。これを軸にして生きていけば、自分らしさを持って生きていく事が出来ると思います。人生はハードボイルドです。