毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

人生とは車をドライブさせるようなもの。

いかに自分の人生を進めていくか。それは、車で言うところのドライブという感じ。

 

人生、いかにサバイブするか。そのような感じで生きていくというのもありますが、サバイブとは、つまり、生き残るという事であって、生き残るために生きていくというのはつらいもの。確かに、いかにサバイブするか、というフェーズも人生はあるかもしれませんが、それを生きる目的のようにして生きていくのは大変。いつか生きている心地がしなくなってきます。

 

人間というものに、内的動機づけというのは、実は無い。そのようなもので自分を突き動かしていこうとするのは、意外と大変。というか無理。というのも、人間、そもそも、内在的に動機づけになるようなものなんてないから。

 

というか、人間、自分自身の中に自分自身を突き動かしていく「自分」というものなんて、実は無い。そもそも自分なんて無いんです。ですから、勝手に自分自身で走るエンジンなんて、かからないんです。

 

人間機械論なんていう考え方があります。要はそれって、外部からの刺激か力かによって機械は動く、そういった意味になりますが、確かにその意味で、人間は機械のようなもの。自分自身の中に自分を突き動かす何かがあるのではなく、自分の外側から何かスイッチを入れる事で動き出すようなもの。

 

そういった意味で、いかに自分をドライブさせるか。車のようにドライブさせるか。そういう事です。

 

何か目的地を決める。そして、それに向かって車を走らせる。その目的地に明確な何かがあるかと言うと、それは分からないわけですが、ただその方向に走り出す。進み出す。そのようにして、車をドライブさせるようなもの。

 

確かに、車をドライブさせるには、運転する技術は必要。運転を習得する事は必要。そして、周りの景色や道路もよく見る事が大事だし、交通ルールもよく知っている事も大事です。

 

ですが、車はいったん走り出せば、あとは自然と走るもの。何も考えなくても走るもの。そして、走りながら考える。目的地までに車の中で色々と考えながら、とりあえず進んでいく。車を走らせるとはそんな感じ。とりあえず走る。

 

人生もそんな感じ。何か明確な意志と目的を持って生きるものではなく、サバイブする為に生きるものでもない。車のようにドライブさせながら生きる。そういうもの。目的地めいたものを何となく描きながら、それに向かってとりあえずドライブする。そして、自然と前に進んでいく。それでいいんです。