毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

自分という入れ物に適応する。

適応するという言葉はよく耳にします。実際、生きていると、適応しないといけない場面によく出くわします。

 

自分が生きているこの世の中に上手く自分を適応させて生きていく。そのような事を迫られる事はよくあります。実際大変です。

 

ですが、世の中に適応する前に、自分自身に適応するという事も大切です。むしろ、その事の方が大切です。

 

世の中に適応する為に、色んな方法を、他の人や本などから情報を得て参考にしようとします。ですが、なかなか上手くいきません。他の人は上手くいっているようなのに、どうにも自分には上手くいかない。何故だろう。

 

こういう事ってよくあると思います。それは、みんな同じじゃないからです。人は多様だからです。ある人には、その方法は適用できるかもしれませんが、自分には適用できない。そんな事は普通の事です。

 

そして、自分はその多様な人たちのうちの1人なのですが、その自分の事も自分自身よく分かっていない。自分自身の事があまりによく分からないので、どのように自分を適応させて良いか分からないという事です。

 

自分も、世界の一部です。世の中の一部です。世の中の事が分からないように、自分自身の事も分からない。そういう事です。

 

自分と世の中は違うと見做してしまいますが、この場合、自分も世の中の一部であって、言うと、自分は、世の中の一部である「自分という入れ物」に入っているような感じです。自分はただ自分という入れ物に入っているのであって、その入れ物は世の中の一部という事です。

 

なので、世の中に適応しないといけないわけですが、その前に、まずは、自分に適応する。自分という入れ物に適応する。そういう事です。

 

自分という入れ物は、また多様であり、ひょっとしたら世の中に1つしかないかもしれません。そのくらい特殊な入れ物です。ですから、その特殊な入れ物に上手く適応する事が、最初の適応として大切な事です。

 

諸法無我という言い方がありますが、自分自身の本質のようなものは、基本的にありません。ずっと変わらない自分というものはありません。ただ自分は何かを考え、対処し、知恵を働かせるだけです。

 

そして、自分という入れ物について考え、対処し、知恵を絞り、上手く適応するという事です。

 

自分自身にこだわり過ぎる必要はありません。ただ、自分という入れ物に自分はいるんだ、属しているんだと捉えて、まずはその入れ物に適応する事が大切です。それが、世の中に適応する一番はじめの適応です。