毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

どんなに行き詰っても、いつでも考える余地は生まれる。

どんな時でも考える余地はあります。これ以上先に進めない。もう限界。そういうように思う事ってよくあります。ですが、これ以上どうしようもないと思ったところから、頭を働かせる余地が生まれるわけです。

 

そもそも、人はどこに進んで行こうとしているのでしょうか。自分は、いったい何に向かっているのでしょうか。その目的の先には何があるのでしょうか。確かに人は何かに向かって進んでいこうとしますが、その方向はいつだって変更可能です。一本道が塞がって、前に進めなくなったら、左右どちらかの横道に抜けていったらいいんです。場合によってはターンしていったん後戻りしたっていいんです。それも知恵です。

 

行き詰る。人間、よく行き詰ります。もう思考の余地はないように感じます。いつだって感じます。ですが、そうではないんです。そうなった時、はじめて頭が回り始めます。今まで回っていなかった頭が回り始めます。頭はそのような時こそ回りはじめるものなのです。

 

人が何か飛躍するとき、たいていそれは前に進めなくなった時です。それまでの思考回路ではにっちもさっちもいかなくなった時です。その時こそ、新たな頭を働かせるときです。これまでと違う思考の使いどころです。

 

色んな過去の記憶を引っ張り出しても良いと思います。役に立たないと思って過去に捨て去ったアイデアを、ここで持ち出してもいいんです。アイデアは、場面次第に役に立ちませんが、場面次第で大いに役に立ちます。そういうこれまでの思考の産物を、ここぞという時に引っ張り出したらいいんです。

 

何故人はこうも、絶望してしまうんでしょう。精神力が持たなくなってしまうんでしょう。本当は、そんな時こそ考える事が役に立つのに。精神は人の力の源ですから、先進力が失われれば、前に進めなくなって絶望してしまいます。

 

確かに、そのような時は、諦めるという選択もあります。前に進むのを断念するという選択もあります。それはある意味大きな決断です。同時にそれは意味ある決断です。そして、それは、すなわち、考えることのうちです。知恵によるものの結果です。思考や知恵が、意味ある断念と新たな決断を与えるわけです。

 

考える事は、どんな時でも出来ます。頭は常に回っていますから、いつだって思考は使えます。いつだって考える余地はあります。その事を忘れないようにすれば、どんなに行き詰まり、精神力が失われたと錯覚しても、突破できます。それが考える力です。