毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

言葉は真実ではないが、可能性は無限。

言葉というものは、真実ではない。そう思います。真実を説明する事に迫る事はできますが、それ自身がどうしても真実になりうるかと言うと、そうではないと思います。

 

言葉というものは、そもそも、何かを説明するものであって、その「何か」と完全に一致するものではありません。その「何か」を代替して説明する為に、言葉を使って何とか説明しようとする、そういうものでしかありません。

 

それでも言葉は、人とコミュニケーションを取る為の最も便利なものだと思います。人に向かって言葉を発する事によって瞬時に相手にその言葉を伝える事が出来ます。これほど容易に自分から相手に何かを伝える方法はありません。

 

言葉を使うための素材という意味での言葉は、無限にあります。無限にある言葉を拾い集めて、それらを上手く並べれば、その言葉を相手に伝える事が出来て、相手もその言葉を理解する事が出来ます。その方法は無限です。

 

ただ、あくまで、言葉という制限のあるものしか伝えられませんから、言葉以外は伝えられません。それ以外の事を伝えたいと思う場合は、もちろんその為の言葉を足す事になりますが、それでもきっと足りません。言い尽くせません。言葉には、そのような制限があります。その上で、言葉の人と人をつなぐその方法は、最も便利と言えます。

 

伝えたい事をより正確に伝える為には、無限にある全ての言葉の中から、適切に言葉を選び、適切に言葉を並べる必要があります。きっと、その為には、言葉は出来るだけ多い方が良いし、並べ方も多彩な方が良いでしょう。単純であれば単純なだけ、伝えない事の内容は単純なものになり、より正確ではないものになります。

 

とは言え、その作業は、砂の中から適切な砂を見つけ出すような作業にも似ていますから、手でその場でつかみ上げた砂の一部分を使うしかありません。言葉は無限にありながら、使えるものはすぐに思いつく言葉を使うしかありません。

 

言葉の使い方は、一応文法と語彙は有るものの無制限であり、どのような使い方をするかに、実のところルールはありません。ルールはあってもそのルールは絶対ではありません。いくらルールを越えてもいいし、変えてもいいし、より真実を説明したいなら、そのルールをむしろ変えていく必要があるのかもしれません。

 

言葉は、相手に何かを伝える最も便利なコミュニケーションツールです。ですが、言葉には限界があります。それは真実にはなりません。それでも、言葉は最も良い無限の可能性のあるコミュニケーションツールです。