毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

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人新世の「資本論」。マルクスの物質代謝論と仏教。

最近、斎藤幸平さんの「人新世の「資本論」」を読んでいます。何故読んでいるかというと、この本が最近注目されているという事があります。また、以前にツイッターか何かで、誰かが「この本を人生のバイブルにする」と書いていた事があって、よほどのイデオロギーめいた内容になっているのかなと思って気になっていたというのもあります。

 

私自身、資本主義社会というものは重要な概念だとずっと思っていて、また、政治システムとしても、これからの資本主義に対向できる政治システムは一体何なのか、という事についてずっと気になっていて、自分自身なかなか分からずにいたので、参考に出来ればなと、ちょっと期待しているところもあります。

 

資本主義に関しては、私はどちらかというと、アダム・スミスの市場原理の仕組みから、マルクスシュムペーターの流れで、唯物論的にというか、構造主義的に理解をしているのですが、最近の若い人が関心を集めていそうだという事で、この本ではどのような解釈がされているだろうというのが気になっています。そういうわけで、とりあえず読んでみようと思ったわけです。

 

実際、読んでみると、まだ全部ではないですが、思っていたより、マルクス的思想に基づいて反資本主義を提案しているように読めるので、なかなか凄い政治的な本なんだと感じています。若い人は感化されるのは分かる気がします。イデオロギーの時代は終焉したみたいな言説はありましたが、そんなものはなく、いつだって宗教やイデオロギーは求められていて、有効なんだなと感じます。

 

本書で、マルクス思想を説明している箇所に、「物質代謝論」というのがあります。私が面白いなと思ったのは、結局のところ、マルクスの思想はその根本は仏教だという事です。

 

物質代謝論を、本書から抜粋するとこうです。「人間は絶えず自然に働きかけ、様々なものを生産し、消費し、廃棄しながら、この惑星上での生を営んでいる。この自然との循環的な相互作用を、マルクスは「人間と自然の物質代謝」と呼んだ。」

 

そして、「労働」に関する記述があります。「マルクスによれば、人間はほかの動物とは異なる特殊な形で、自然との関係を取り結ぶ。それが「労働」である。労働は、「人間と自然の物質代謝」を制御・媒介する、人間に特徴的な活動なのである。」

 

こういうのを読んでいると、仏教でも、自然や世界がまずあって、その循環の中に人間がいると捉えています。その中の営みとしての労働観という事を考えれば、マルクスの辿り着いた思想は、仏教の世界ではそれを前提としているものであるわけですから、日本人としては、非常に分かりやすいと思います。

 

資本主義で言うところの資本の論理は、自分たち人間が一生分に必要なお金以上に少しでも安心の為に貯めておきたいというレベルでの、言ってしまえば普通の人間性を反映しているので、これを否定する事は極めて難しいですが、一方で、その「少し」が「もっと」という絶え間ない欲望につながっていく仕組みを備えているという事を考えると、本当に放っておいて良いものかとも思うので、何かこれまでの共産主義とかコミュニズム的な思想とは異なる新しい着眼点はあるのか、興味深く読み進めたいと思います。