毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

言葉によるコミュニケーションは人間社会の大きな問題。

人のコミュニケーションの問題は、社会全体にとってとても重要だと思う今日この頃です。人と人とのコミュニケーションにとって、言葉を使うのは最も効率的なコミュニケーションだとは思いますが、それでもやはり限界があります。そもそも自分の思っている事、考えている事を、自分自身が完全に理解できていないわけですから、しょうがないと言えばしょうがないわけですが...。

 

言葉によるコミュニケーションが、人間社会を、大げさに言えば、人類をより円滑にやっていけるようにしたことは確かだとは思います。言葉を使ったコミュニケーションがなければ、もっとコミュニケーションが取れない状況になり、争いごとが他の動物並みに絶えなかったと思います。

 

とりあえず、動物との比較は置いておいて、人間におけるコミュニケーション上の問題に限定すると、実際、考えている事をすべて言葉に詰め込んで話をするには、あまりに困難で、且つ、対面での直接のコミュニケーションは、正確なやり取りが極めて難しいと感じます。言葉の使い方を間違えると、それが誤解を生み、その誤解が更なる誤解を生み、全くかみ合わなくなります。

 

また、言葉やその使い方、言い換えれば、文章の作り方は、その人の思考パターンに依りますから、互いの思考パターンが違えば、表現される文章が異なり、それを理解し合うのはさらに困難で、特に直接の対面での会話では、時間が短すぎて、対応が出来ません。

 

そういう意味では、言葉でコミュニケーションを取るには、圧倒的に、直接対話するのではなく、1回文章として書いて、目に見える形にして、且つ、その文章を良く時間を十分に与えられた形でやった方が良いと感じます。

 

その事は、要は、直接対話よりメールやチャットでやり取りした方が良い、と言っているようなものですが、ある意味そうなのかもしれません。ただもちろん、直接対話より膨大な時間が必要です。そもそも、より良いコミュニケーションをするには、どうしたって十分な時間が必要です。

 

ただ、言葉の使用は、適性のようなものがあって、言葉を使うのが得意な人とそうでない人がいます。人間は多様ですから当然です。これも、コミュニケーションを難しくします。もちろん、ノンバーバルなコミュニケーションもあって、そちらの方が得意な人もいます。この多様性も、言葉によるコミュニケーションをより困難にしています。

 

言い出したらきりがないほど、言葉によるコミュニケーションの問題はたくさんあります。コミュニケーションの問題が少しでも改善したら、どれだけ人間社会は良くなるだろうと、本当に思います。