毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

人を傷つけてしまったかもしれない翌朝。何もしない・言わない・向き合う

仕事であれ何であれ、人間関係の中で、悪気はないのに相手を傷つけてしまった、傷つけてしまったかもしれない、みたいなことをありませんか。そして、その時は、そんなに気になっていないけど、一晩寝て起きた翌朝、何かずっと頭の中に気になっている、みたいな。

 

月並みな言い方ですが、人間関係とは本当に難しくて、というか、曖昧で複雑で、特に言葉の使い方は難しくて、意図せず自分のやったことが原因で相手を傷つけてしまう事ってあると思うんです。言葉は、単純で明確であるため、言葉が鋭いと傷つける事もあると思います。また、伝えようとする内容を言葉として表現すると、言葉として表現できない部分は排除されて、その内容は表現された言葉に限定されてしまうので、より正確に伝えたい内容を伝える事が出来ないという事もあります。もちろん、言葉だけでなくても、態度や振る舞いが、意図せず相手を傷つける事もあると思います。人間と人間のコミュニケーションは、すれ違いや誤解が多いです。

 

そのような事で、意図せず人を傷つけた言動や振る舞いをしてしまって、相手を傷つけた、もしくは、傷つけたのではないか、という事があったりすると、その日は他の多くの事で忙しくて気付いてなかったような事も、一晩寝て朝起きると、不穏な感じで気になってしまう事があると思います。意識的には気付かなったけど、無意識には気付いていた、みたいな。

 

そういう時はどうするか、考えてみたいと思います。私は。そういう時は、何もしない、人に言わない、向き合う、を心がけています。

 

朝から嫌だなぁ、と思い始めたとき、「何で自分はあんなことをしてしまったのだろう」、「言ってしまったのだろう」と、自分を責めたり、ネガティブな気持ちでつらくなったりして、また、「何か訂正したい」、「修復したい」、「何か悪い事をしたんだから何かしなければならない」と、気持ちがせかされたり、落ち着かなくなったりすると思います。でも、そんな感情的にネガティブでつらい状態で、落ち着いていない状態では、良い方向に事態を持っていけるものではないと思います。むしろ、”何もしない”という事を選択します。

 

例えば、傷つけたかもしれない相手に電話をして、言い訳して、自分の正当性を主張するという事もあり得ますし、間違っていたと思って謝罪するというのもあり得ますが、そういう時って、心が穏やかでないですし、本当に自分が悪いかどうかわかりません。だから、慌てて何かしようとせず、自分が悪い事をしたという事であれ、相手が傷ついているという状態が続いているのであれ、その事態を受け止めて、じっとして何もしない、という事です。

 

そして、その事を、他の人に言わない、という事です。自分が悪い事をしたかもしれないという状態を独りで抱えるのがつらいから、誰か喋って共有すると、確かに楽になるかもしれません。また、その理由を他人に聞いてもらって自分の正当性を解ってもらいたい、という事もあるでしょう。でも、そうすると、自分が傷つけてしまったかもしれないという、ただでさえ原因の曖昧なものが、他人と共有する事によって、自分の中でもっと曖昧になって、問題があやふやになってしまいます。他人に喋って楽になるより、黙って事態を受け入れる、という事が大事だと思います。

 

何もせず、誰にも言わず、そしてどうするかというと、自分一人でこの問題と向き合うという事です。自分と向き合うという事です。いわゆる内省です。実践的には、瞑想をするように目を閉じて、心を落ち着かせる方向に持っていく事です。このような事態ですから、呼吸瞑想をして呼吸に集中しようにもきっと集中できないでしょうし、自然と、相手を傷つけてしまったことが頭の中を巡ると思います。そして、いっぱい言い訳もすると思います。それでいいと思います。そういう自分の中に生じている事を出来るだけ客観的に観るようにして、気付くようにして、自分の中のつらい気持ちを知って、自分の中で言い訳を散々して、思いや思考を巡らせる事で十分良いと思います。

 

実際、このような事態で自分の中に起こる根源は、きっと罪悪感みたいなものです。自分が悪い事をしたのではないか、という事を受け止めるのに耐えられないんだと思います。身体は、その疑惑的な事態に対し、危機の信号を発してきます。でも、そうしてしまった事実を自分で受け止めてあげる事も大事だと思います。

 

人間ですから、人を傷つけることもあります。また、言葉は不正確なコミュニケーションツールで、本当に誤解が多いものです。それが言葉の限界です。さらに言えば、本当に自分が罰を受けるような悪い事をしたのか、考えるべきです。自分なりに正当性はあったかもしれないし、そもそも傷つける意図なんて無かったもしれない、無かったわけです。色んな事は曖昧で複雑ですから、日常的に色んな事が起きます。それが人間世界です。

 

そうやって、自分自身に向き合う事で、でも、やっぱりこの事態に気になっていたという事実はあります。だから、この事態を無視せず受け止めて、今後どうしていくか、という事に活かす方が良いと思います。その為にも、しっかりこの事態に向き合って、ああでもない、こうでもない、と考えを巡らせて、自分でどうするか、決める事です。その方が、すぐに言い訳をしたり、他人に言って楽になったりして、そのまま忘れてしまって、次にまた意図せず他人を傷つける事になってしまう事より、何倍も良いと思います。

 

いかがでしょうか。朝から、前日までの罪悪感でつらい時ってあると思うんです。でも、それって曖昧ですし、仕方のない事です。自分の未熟さが原因かもしれないけど、人間とはそういうものです。だから、その事態に対して、”何もしない”、”言わない”、そして、”自分に向き合う”というのが良いと思います。きっと成長できますし、それで良いんだと思います。