毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

論理的思考で前に進めない時は、「いったん忘れる」。

それ以上考えない事で前に進む。そういう事ってあると思います。

 

色々悩んで、苦しみながら考えて、根本解決しようとして、その挙句のはてにどつぼにはまる。こうなると、もうこれ以上考えたってしょうがない。いったん忘れるしかない。いったん脇に置くしかない。そういう事です。

 

どうにも人間というのは、思考というのが、役に立つようで役に立たない。思考とは論理的思考というものの事ですが、この論理が役に立つようで役に立たない。困ったものです。

 

この論理的思考というものは、合理的思考とでも言い直す事ができるものの事ですが、この合理的というのが役に立つようで、ここぞというところで役に立たない。一体、論理的とか合理的とかって何なんでしょうか。

 

論理的とか合理的とかって言うのは、ある意味、数学のように、最初にある法則を決めてしまえばその通りになる、論理回路のようなものですが、要は、そういった仕組みが、人間の振る舞いや行動、実践というところで役に立たない。人間たちの活動する世界というのは、論理的回路とは全く仕組みが違うっていう事なんでしょうか。そう、きっと違うんでしょう。

 

人間である自分たちが、難しい問題、難題にぶち当たった時、それをいかに突破するかという事なのですが、それは、少なくとも、論理的、論理回路的、という事ではないんでしょう。

 

それよりも、脳の仕組みに適った方法でなければ、きっと突破出来ないんでしょう。ムーブオン出来ないんでしょう。

 

脳の仕組みという意味では、論理的思考というものは、脳的に論理的というわけだからそれに当てはまるような気がしますが、この場合、この脳的に論理的というのが破綻してしまっているから、突破できないんだと思います。前に進めないんだと思います。

 

結局、この「脳的」にどうするかという問題に対しては、「脳的」に対処するしかない。そんな気がします。

 

脳の別の仕組みとして、「忘却」という仕組みがありますが、つまりそういう事です。それは、「いったん忘れる」という方法です。いったん忘れる、いったん脇へ置く事によって、何故か前に進める。脳的に、論理的思考が有効でないなら、別の脳的な方法として、いったん忘れて脇に置くという事です。

 

「時間」。そう、時間が解決する。これに似ています。難しい問題は、時間をかける。これも論理的ではないように思いますが、考えない事で時間を費やす。この事によって、前に進むのです。