毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

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進化論について考える。生存競争ではなく単なる競争。負けるが勝ち。

進化論は、人類を含む生物の歴史を上手く説明したもので、多くの人に影響を与えてきたものです。その中に、「適者生存」という言葉があります。これが非常に厄介であり、多くの人を悩ませてきました。この事について、考え方を変えると、案外、進化論に関して、上手く取り扱えるのではないかと思います。

 

進化論では、ある環境の中に存在する種が、環境が変わったときに、種の突然変異が環境に対して適応性が高ければ種は保存され、低ければ種は淘汰される。そのような結果、進化が起こる。そういうわけです。これが、適者生存とか、生存競争という形の概念として、人間や人間社会に影響を与え、プレッシャーをかけるわけです。

 

適者生存とは、その環境での生存競争、つまり、競争という事です。そういう事で、人は競争社社会に巻き込まれていく、そういうわけです。

 

ですが、現代社会を見ると、そうとも言えない状況にも見えます。よくよく見ると、人にはいろんなタイプがいて、競争が好きな人はたくさんいます。また、近年は、特に先進国は成熟してきていて、単に生存競争に勝ち残らなければ生存できないほど厳しい社会でもなくなってきているように見えます。

 

そこで、このように言い換えてみます。

 

人間社会では、まず競争があり、その社会に適応するものは競争に勝ち残るが、それ以外の適応しないものは勝ち残れず、その負けた人たちがそれまでの社会と異なる生き方をしていく事で、人間社会に進化が起こる。

 

こんな感じでしょうか。現代社会は、競争社会ですが、実質的な生存競争ではなく、スポーツの競技のような競争です。負けても、生存できなくはなりません。異なる生き方、自分なりの適応の仕方を学んでいく事によって、結果的にその人たちが、今の社会で規定された価値基準を変えていきます。

 

見方を変えると、人間社会における進化論はこのような感じになります。人間は多様ですから、多様な人々によって人間社会は進化していく、そういうわけです。ポイントは、競争の社会ではありますが、生存競争の社会ではありません。目の前の競争に負けても、死にません。次があります。

 

確かに、群雄割拠の戦国時代はまさに生存競争ですから、競争に負けると、それで終わりです。ですが、人間社会のほとんどのケースが生存までは関わらない競争です。

 

現代ではむしろ、リスクを取る価値とか、失敗から学ぶとか、常勝する事が最も大事とは言っていません。それが人間社会です。

 

そういうわけで、進化論は、生存競争の中で適者しか生存できないのではないかと不安になりますが、実はそうではなく、単なる競争の中で適者でなくても生存でき、むしろその事が進化を引き起こす、というように言い換えられます。

 

「負けるが勝ち」というのは、要はそういう事です。