毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

イラスト連続100日。私の思うイラストの習慣の良い事

私は、イラストを描く事を毎日の習慣にしているのですが、最近、100日連続でイラストを描く事を達成しました。イラストは、仕事から帰宅した後、夜に描く事が多いのですが、もちろん、素人の描くレベルですから、壮大のイラストを描いているわけではなく、自分が何となく描きたいと思うものを、30分もかからないくらい程度で描いているので、だから継続できた、というのもあると思います。それでも、100日連続で描けたというのは、意外に達成感があります。

 

そこで、自分が思う、イラストの習慣の良い事について、幾つかお話ししたいと思います。

 

まず、上にも描きましたが、好きなように描ける、という事です。私は、動物をデフォルメしたみたいな絵を描くのが好きで、鳥を描いたり、魚を描いたりしています。それらの動物がとりわけ好きかというと、鳥はその意味では自由に飛び回って好きと言えば好きですが、魚は、食べるのは大好きですが、釣り好きというわけでもありません。ただ描く対象として、好きというくらいです。強いて言うと、流線形の感じとか、口の半開きな感じとか、そんな程度です。厳密に模写しているわけでもなく、多少実際のものをネットなどを見て参考にはするものの、それらにそんなにとらわれず、ある意味架空の動物を描いているような感じです。でも、イラストですから、それでいいと思っています。そんな感じで、自由に好きなように描ける、というのが良いところです。

 

そして、修正していくらでも描き直せるところです。私は、Apple が出しているApple pencil 2という電子のペンを使っています。そして、iPad上で、GoodNotesというアプリを使って描いています。以前は、紙に、シャーペンを使って描いて、それを取り込んで電子データとして保存する、みたいな事をしていましたが、描き間違えたら消しゴムで消すとか、描く以外の作業が面倒とかで困っていました。今は、iPadを使って電子ペンで描いているので、描き直し放題、保存し放題で、自由に描いています。本当に、便利な世の中になりました。

 

描く事が面白いのは、これも私の場合ですが、描いているうちに予想外のものが出来上がる、という事です。今日は鳥、今日は魚、みたいな程度の事は最初に決めて描き始めますが、細かい点までは決めません。テキトーに描き始めて、良い感じのイラストになり出したら、細かいところを修正したり、動きを出そうとしてみたりして、そうやって徐々に仕上げていきます。そして、気付いたら、なんか面白いイラストが出来ていた、そんな感じです。そのプロセスがとても心地良く楽しいです。

 

描くプロセスという事に関しては、集中して描くという事が、とても心地良いです。流線形上の線や細部を描くとき、その事に凄く集中します。エネルギーは凄く使いますが、集中するその感覚が、とても心地良いです。

 

もう一つ付け加えると、描いたイラストは、下手であろうが何だろうか、自分のオリジナルのイラストになるという事です。自分の独自のイラストが出来る、という事をとてもうれしい事です。当たり前ですが、100日間描いてきたイラストに、同じものはありませんし、それらすべてオリジナルです。その事自体がとてもうれしいです。

 

そんな感じでしょうか。描き始めの頃と比べると、かなり自分の描くイラストの種類も増えてきましたし、描き方も変わってきています。もっと継続していったら、もっと多様に、そしてもっと変化していくんだろうなと思うと、自分のイラストが進化して成長していくように感じられて、とても有意義だと感じます。

 

これからもイラストを描き続けていって、何か気付きがあったらお話ししたいと思います。

身体の調子を中心に考える。身体の点検・瞑想・その組み合わせ

何かをやりたい、やらないといけない。でも、何か頭や身体が落ち着かなくて、何から手を付けていいか分からない。また、身体が疲れていて、モチベーションも上がってこない。そして、結局やらない。やれない。今日も何も変わらない。そういう事ってないですか。

 

そういう時というのは、ひとつに、身体の調子が良くない、という事があると思うんです。身体の調子が良くないと、身体もちゃんと動かせないですし、頭もまともに回りません。大事な事は、何をやろうとするにも、まずは、”身体の調子を中心に考える”という事です。

 

人間は身体で出来ています。何かを決める頭も脳も、結局は身体です。身体の状態がいまいちでは、自分の力は発揮できません。そういう時、私が日頃からやっているのは、身体の点検と、瞑想、そして、その組み合わせです。

 

まず、「身体の点検」です。どことなく身体が不快なのに、身体のどこが不快なのか、意外と自分でもわかっていないと思います。頭痛、腹痛、肩コリ、首コリ、腰、足の痛み、胃腸の調子、色々とあると思います。でも、日常生活の中では、意外と気付いていません。なので、毎晩、寝るまでの時間とかに、身体の状態を気付く習慣を持つようにするのがお勧めです。ストレッチやマッサージをして、直接自分の手で自分の身体を触ってみるのが良いと思っています。足や腕を伸ばしたときの「痛み」の感覚を確かめる事は気づきとしてとても大事です。肩甲骨周りや、ふくらはぎも、結構傷んでいます。それらは血行が悪くなる原因になりますから、状態を知っておくことは大事です。

 

そして、「瞑想」です。身体を点検するときは、心や身体が落ち着いている事がとても大事です。落ち着いていないと、身体の状態に気付けません。静かにして目を閉じて、瞑想に入りながら、身体を静かに点検するのが良いと思います。呼吸瞑想によって、呼吸に意識を持っていくと、吸ったり吐いたりするときの、頭蓋骨の変化や、胸、お腹の動きから、呼吸するのがきついとか、胃が重い、とか、目が疲れているとか、呼吸だけでも色々と身体の状態に気付けます。

 

さらに、上の身体の点検を、瞑想と組み合わせて、瞑想しながらストレッチしたり、マッサージしたりするのも良いと思います。呼吸も組み合わせていく事によって、身体の色んな箇所の状態に気付けます。瞑想でより落ち着いていれば落ち着いているほど、より気付けるようになります。その意味で、瞑想の習慣で瞑想に慣れておくことはとても良いと思います。

 

心が落ち着いていない時、けっこう自分の身体の状態に気付けていません。気持ちや勢いだけではなかなか思うように自分を動かせません。だから、身体の状態を中心に考える、という事を覚えておくことは、自分をドライブさせていく上で非常に重要です。その方法として、身体の点検、瞑想、そして、それらを組み合わせて行う、というのはとても有効です。

 

このような事があった時、トライしてみて下さい。意外と、予想していない身体の箇所が疲れていたり、痛んでいたりします。そういう気づきの習慣を持っておくのは良いと思います。

身体のケアの習慣。テレビ体操・スクワット・瞑想ストレッチ

毎日のパソコン作業や他の色んな作業、姿勢の悪さなどで、身体はいつも疲れています。もう40を超えていますから、そういう歳でもあります。なので、毎日少しでも身体のケアをしておきたいという事があって、また、もともと頭痛持ちで身体のケアが欠かせないという事もあって、いくつか身体のケアの習慣を持っています。

 

今回は、私が現在行っている身体のケアの習慣についてお話ししたいと思います。それは、テレビ体操、スクワット、瞑想ストレッチ、です。

 

テレビ体操は、毎朝、6時半くらいからやっているNHK教育を見ながらやっています。10分程度ですが、結構ハードです。「ラジオ体操第一」、「ラジオ体操第二」、そして、「みんなの体操」のうち、2つをやっていて、それプラス、毎回違う簡単な運動を、10分の中で行っています。私自身、朝の準備などで全部やれない事もあるので、ラジオ体操をひとつとか、自分のペースでやっています。もう5年はやっていると思います。これをやっていなかった時までは、頻繁に頭痛になっていて、仕事をするのも大変でした。テレビ体操を毎日やるようになって、頭痛が激減したので、それ以来やめずに続けています。

 

そして、スクワットです。私は、毎朝シャワーを浴びるのですが、シャワーの水がお湯になるまでに時間がかかるので、その30秒とか1分とかそのわずかな時間でやっています。何もせずに突っ立って待っているのも暇だし、寒いので、その時間を有効利用しているわけです。回数は、10回くらいでしょうか。中山きんに君のユーチューブで、「世界一浅いスクワット」みたいなタイトルの動画があってそれが面白くて、「確かにちょっとでもやると効果があるかも!」と思って参考にした、というのはあります。今年の最初に始めたので、もう毎朝1か月半は継続しています。

 

最後に、瞑想ストレッチです。これは、まだ5日程度しか続けていませんが、良いと感じています。瞑想をやるように、10分くらいのタイマーをセットして行っています。そして、自分は、肩こり、首コリ、眼精疲労など、色々と身体の状態の良くない箇所があるので、それらに効果のあるストレッチを、ユーチューブで調べてそれらを参考にしてやっています。静かにして呼吸瞑想をやるように、一つ一つのストレッチの動作を、30秒くらい、呼吸の回数で言うと、吸って吐いての1呼吸を5、6回やっています。そして、ストレッチの種類で、5、6種類くらい、そして、それを繰り返しています。そうすると、すぐに10分は経ってしまいます。注意は、基本的にストレッチで身体を伸ばした時に感じる痛みに向けるようにしています。また、思考や記憶の断片が出てきたら、気にせず漂わせています。こんなことを考えているんだな、悩んでいるんだな、と自分自身に気付くようにしています。

 

こんな感じでしょうか。瞑想ストレッチは最近始めたばかりなので、これからの展開を期待しています。おそらく、体調が悪くならない程度には維持できているのではないかと思います。また、体調を常に気付くようにもなっているので、それも良いと思っています。

 

今後、身体のケアの習慣について、何か変化があったら、またお話ししたいと思います。

つらい事があった時。受け止める。

人生、生きていると、つらい事、悲しい事、ってあると思います。つらさ、悲しさ、心の痛みに対して、そのままにして耐え続けるのは大変な事です。でも、人生、それぞれの人にとってそれぞれの乗り越え難いつらさというのはあって、何とか自分で向き合っていかざるを得ません。

 

そういう時は、つらさを受け入れる。そして、そのままにしておく。そういうお話ししたいと思います。

 

まず、そのつらさを受け入れるという事です。つらい事があった時、その事実を受け入れるのが嫌で、つらさを感じないようにして、関係のない事をしようとしたり、他人や他の事のせいにしたり、自分に言い訳をしたりして、そのつらさを避けようとしてしまいがちです。でも、中途半端につらさを避けようとすると、そのつらさの原因が何だったのか、そのつらさが自分にとって重要な事なのか、そういう事も自分自身認識できなくなってしまいます。人というのは、意外と自分が本当につらいと感じている原因が分からないものです。その原因は実は自分にとってとても大事なもので、でも、そのつらさが嫌で気付かないようにして原因に気付かずにいたら、ずっと自分にとって大事なものが何か、気付けないかもしれません。ですから、自分の事を深く知る為にも、つらさはちゃんと向き合って、つらさから逃げずに受け入れる事が大事だと思います。

 

そして、そのつらさ、心の痛みの原因を無理に理解しようとしたり、解釈しようとしたりせず、とりあえずそのままにしておく、という事です。自分が本当につらいと感じるかどうかは、言葉にしようとすると分かりにくくなる場合があります。それより、まずはつらさという感情を、しっかり体験できるようにする方が良いと思います。つらさをしっかり体験するのは、それこそつらくて耐えられないという気もしますが、しっかり体験しないと、つらさが自分に訴える大事なメッセージを見逃すことになります。言葉は明確で、論理的にいくらでも自分に対して説明できてしまいますから、正しく受け取れない可能性もあります。感情は、言葉よりもダイレクトに自分に訴えてきますから、まずは、すぐに解釈しようとせずに、そのままつらさや心の痛みを受け取れるように、感情に任せてそのままにしておくようにしましょう。

 

むしろ、つらさに対しては、時間をかけて対処する方が良いと思います。時間をかけていくと、自ずとそのつらさの理由や自分にとって大事な事が分かってくるものです。時間をかけて、心の痛みを感じながら、受け入れていく、そういうプロセスが、自分が本当に大事にしようと思っている事を気付くチャンスになると思います。

 

人というのは、自分にとって本当に大事な事は意外と気付けないものです。こういう、つらさ、悲しさ、心の痛みを体験したときは、それらを知る良い機会にしましょう。前進できます。

調子の出ない日。習慣を続ける。

疲れた次の日。嫌な事があった次の日。天気がいまいちで調子が出ない日。そんなときってありませんか。調子が出ない理由がはっきりしていたり、明らかに体調が悪かったりすれば、気分的にもそんなに悩まずに、休みを取るなら取るという事を決める事が出来ます。でも、そういう事もはっきりとせず、どことなく調子が出ない。そういう時は、あまり考えすぎずに、考えなくても出来る事、つまり、普段から続けている習慣をきちんとやっていく、という事が良いと思います。

 

今回は、調子の出ない日は、あまり悩まず、いつもの習慣を続けるという事についてお話ししたいと思います。

 

調子が出ないわけですから、負荷の高い事はできません。また、この事態に対して新しい手を考えるほど、頭は回りません。とりあえず、普段からやっている習慣について、振り返ってみて下さい。

 

私は、毎日、英語の本を読んだり、イラストを描いたりと、意識して継続している習慣がありますから、それらを粛々とこなしていきます。定着した習慣は、調子が良い悪いに関係なく、労力をかけずにできます。それらを、いつものように、ルーティンのようにやる事で、身体の活性が上がってきます。そうやって、調子の出ないその日をスタートさせることが出来ます。

 

また、瞑想も私は習慣にしていて、調子が出ない時でも有効だと感じています。呼吸に集中するようにして瞑想に入っていき、身体の状態を点検するのが良いと思います。調子が出ない時は、たいてい体調もいまいちですから、身体の状態を知る事がとても大事です。私は、頭痛持ちで、首こり、肩こりも日常的です。胃腸も疲れている事が多いです。だから、瞑想を行って身体を点検する事で、そういう事に気付く事が出来ます。調子が出ない時というのは、身体の調子と精神面の調子とあると思いますが、もちろん精神は身体とつながっていますから区別して考えるのも変ですが、アプローチするなら、精神面より身体が良いと思います。身体の状態の悪いところに気付けば、ストレッチしたりマッサージしたり、水を飲んだり、色々と対策も出来て、少しは不調を軽減できるかもしれません。精神面は身体のケアに伴って多少改善します。

 

基本的に、生活は習慣によって形作られていますから、普段から1日の生活の習慣を安定化させておくと、調子が悪くても1日の形を保つ事は出来ると思います。調子の出ない日は、それで十分です。新しい事や、凄い事をやる必要はありません。楽しい1日にしようとする必要もありません。今日の1日の最後の寝るところまでたどり着ければ、また明日が来ます。そして、良い睡眠が取れればきっと翌日は調子が戻っていると思います。

 

そういうわけで、調子の出ない日は、無理せず、今までの自分を形作ってきた習慣を続けていきましょう。そんな日は、それで十分だと思います。

昼の瞑想。心身のチェック。

私は基本的に、毎朝瞑想を習慣としてやっています。仕事に行く前の10分から15分。呼吸に集中しながら瞑想を始めるのですが、思考や記憶の断片にすぐにまみれてしまいます。そして、それに気づいて、呼吸に集中するようにしつつ、自分は最近こんな事を思っているのか、考えているのかと客観視して自分に対する気づきを得ています。そんな感じで、もう2か月は経ちました。

 

そして、夜の瞑想もたまにやっています。夜は朝と違って、身体の疲労感が高く、身体の状態に気付く事が多く、身体を休ませようという自分を労わるような気持ちが出てきて、心地良い感じになれます。

 

そこで、昼間に瞑想をするとどうなのだろうかと思って、午後の休憩の時に、軽く10分程度目を閉じて行ってみました。

 

まず、朝や夜とは違って、全然落ち着かないという事がわかりました。やはり昼間の活動期だからか、精神が高ぶっているような感じで、しばらく目を閉じて静かにしていても、気持ちがせかせかして、静かに内観できるような状態に持っていけませんでした。瞑想時には、自分を客観的にただ観察するサリエンスネットワーク(SN)の脳モードに持っていきたいのですが、常に注意を何かに向けているような感じで、というか、気を取られているような感じで、上手くいきませんでした。

 

おそらく、昼間は自律神経の交感神経が優位になっているからだと感じました。どちらかと言うと緊張気味で、リラックスとは反対の状態でした。

 

そして、心臓の鼓動が速く、また強く感じました。身体は活発に動く時間帯でもあるから、おそらく血圧も高い感じで、心臓が頑張っているんだなと思いました。呼吸も、どことなく余裕なく、一生懸命空気を取り込もうとしているし、さらに、胃腸もどことなく負荷を感じている感じでした。けっこう、身体に負荷がかかっている、という事に気付きました。疲れていたのかもしれません。首や肩、そして、胸も力んでいる感じで、これでは首コリや肩こり、さらに、血流が悪い事で頭痛になって、身体は疲れるはずだ、と思いました。

 

この昼の瞑想を行ってみる事によって、朝の瞑想、夜の瞑想との比較も含めて、交感神経優位の時、副交感神経優位の時とで、瞑想の感じは違うという事がよく分かりました。心を静かにして、SNの脳モードで内観するような瞑想の場合は、きっと副交感神経優位のリラックスした時が望ましいんだろうなと思いますし、でも、交感神経優位の時も、自分の心身の状態をチェックできて、メリットはあるように感じました。また、交感神経優位時の活発な活動期だからと言って、瞑想に向かないかというとそうでもなく、身体の状態を知れる事は凄く良いし、リラックスしていないとは言っても、何もしないよりかはリラックスしますし、一日の半ばでのリセット、切り替えに良いと感じました。一日の後半を無理せず過ごそうとか、ゆっくり過ごそうとか思えて、過ごし方を調整するきっかけになります。

 

そのような事で、昼の瞑想を行う事で、昼はいかに緊張していて落ち着かず、身体に負荷がかかっているかという事が分かりました。また、朝や昼の瞑想の違いから、自律神経の状態、交感神経優位か副交感神経優位かで、瞑想の状態が変わる事、でも、それぞれ心身に有意義であることも感じました。

 

こうやって、朝、昼、夜と、色んな時間帯で瞑想を行ってみる事で、自分の心身の状態を把握したり、コントロールの方法を見つけたりできるように思います。時間があるときに、また昼間に瞑想をやってみて、心身のチェックをしてみようと思います。

人を傷つけてしまったかもしれない翌朝。何もしない・言わない・向き合う

仕事であれ何であれ、人間関係の中で、悪気はないのに相手を傷つけてしまった、傷つけてしまったかもしれない、みたいなことをありませんか。そして、その時は、そんなに気になっていないけど、一晩寝て起きた翌朝、何かずっと頭の中に気になっている、みたいな。

 

月並みな言い方ですが、人間関係とは本当に難しくて、というか、曖昧で複雑で、特に言葉の使い方は難しくて、意図せず自分のやったことが原因で相手を傷つけてしまう事ってあると思うんです。言葉は、単純で明確であるため、言葉が鋭いと傷つける事もあると思います。また、伝えようとする内容を言葉として表現すると、言葉として表現できない部分は排除されて、その内容は表現された言葉に限定されてしまうので、より正確に伝えたい内容を伝える事が出来ないという事もあります。もちろん、言葉だけでなくても、態度や振る舞いが、意図せず相手を傷つける事もあると思います。人間と人間のコミュニケーションは、すれ違いや誤解が多いです。

 

そのような事で、意図せず人を傷つけた言動や振る舞いをしてしまって、相手を傷つけた、もしくは、傷つけたのではないか、という事があったりすると、その日は他の多くの事で忙しくて気付いてなかったような事も、一晩寝て朝起きると、不穏な感じで気になってしまう事があると思います。意識的には気付かなったけど、無意識には気付いていた、みたいな。

 

そういう時はどうするか、考えてみたいと思います。私は。そういう時は、何もしない、人に言わない、向き合う、を心がけています。

 

朝から嫌だなぁ、と思い始めたとき、「何で自分はあんなことをしてしまったのだろう」、「言ってしまったのだろう」と、自分を責めたり、ネガティブな気持ちでつらくなったりして、また、「何か訂正したい」、「修復したい」、「何か悪い事をしたんだから何かしなければならない」と、気持ちがせかされたり、落ち着かなくなったりすると思います。でも、そんな感情的にネガティブでつらい状態で、落ち着いていない状態では、良い方向に事態を持っていけるものではないと思います。むしろ、”何もしない”という事を選択します。

 

例えば、傷つけたかもしれない相手に電話をして、言い訳して、自分の正当性を主張するという事もあり得ますし、間違っていたと思って謝罪するというのもあり得ますが、そういう時って、心が穏やかでないですし、本当に自分が悪いかどうかわかりません。だから、慌てて何かしようとせず、自分が悪い事をしたという事であれ、相手が傷ついているという状態が続いているのであれ、その事態を受け止めて、じっとして何もしない、という事です。

 

そして、その事を、他の人に言わない、という事です。自分が悪い事をしたかもしれないという状態を独りで抱えるのがつらいから、誰か喋って共有すると、確かに楽になるかもしれません。また、その理由を他人に聞いてもらって自分の正当性を解ってもらいたい、という事もあるでしょう。でも、そうすると、自分が傷つけてしまったかもしれないという、ただでさえ原因の曖昧なものが、他人と共有する事によって、自分の中でもっと曖昧になって、問題があやふやになってしまいます。他人に喋って楽になるより、黙って事態を受け入れる、という事が大事だと思います。

 

何もせず、誰にも言わず、そしてどうするかというと、自分一人でこの問題と向き合うという事です。自分と向き合うという事です。いわゆる内省です。実践的には、瞑想をするように目を閉じて、心を落ち着かせる方向に持っていく事です。このような事態ですから、呼吸瞑想をして呼吸に集中しようにもきっと集中できないでしょうし、自然と、相手を傷つけてしまったことが頭の中を巡ると思います。そして、いっぱい言い訳もすると思います。それでいいと思います。そういう自分の中に生じている事を出来るだけ客観的に観るようにして、気付くようにして、自分の中のつらい気持ちを知って、自分の中で言い訳を散々して、思いや思考を巡らせる事で十分良いと思います。

 

実際、このような事態で自分の中に起こる根源は、きっと罪悪感みたいなものです。自分が悪い事をしたのではないか、という事を受け止めるのに耐えられないんだと思います。身体は、その疑惑的な事態に対し、危機の信号を発してきます。でも、そうしてしまった事実を自分で受け止めてあげる事も大事だと思います。

 

人間ですから、人を傷つけることもあります。また、言葉は不正確なコミュニケーションツールで、本当に誤解が多いものです。それが言葉の限界です。さらに言えば、本当に自分が罰を受けるような悪い事をしたのか、考えるべきです。自分なりに正当性はあったかもしれないし、そもそも傷つける意図なんて無かったもしれない、無かったわけです。色んな事は曖昧で複雑ですから、日常的に色んな事が起きます。それが人間世界です。

 

そうやって、自分自身に向き合う事で、でも、やっぱりこの事態に気になっていたという事実はあります。だから、この事態を無視せず受け止めて、今後どうしていくか、という事に活かす方が良いと思います。その為にも、しっかりこの事態に向き合って、ああでもない、こうでもない、と考えを巡らせて、自分でどうするか、決める事です。その方が、すぐに言い訳をしたり、他人に言って楽になったりして、そのまま忘れてしまって、次にまた意図せず他人を傷つける事になってしまう事より、何倍も良いと思います。

 

いかがでしょうか。朝から、前日までの罪悪感でつらい時ってあると思うんです。でも、それって曖昧ですし、仕方のない事です。自分の未熟さが原因かもしれないけど、人間とはそういうものです。だから、その事態に対して、”何もしない”、”言わない”、そして、”自分に向き合う”というのが良いと思います。きっと成長できますし、それで良いんだと思います。