毎日の習慣や哲学の実践をつづる40代ブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けている40代です。

人間の生きる実感に関する時間と意識について。原子や都市とともに量子論的に考える。

今回は、人間が今を生きるという実感、一瞬一瞬の今まさに生きているという時間について、量子論的に考えてみようと思います。感覚的には、サブ秒から秒の時間の間に、感じたり、考えたり、判断したりいるような気がするので、そのような時間が人の生きる時間なのではないかと思っています。

 

話が分かりにくいので、まずは、電子と原子核がある原子の時間について、そして、人間社会の時間について、それぞれ考えてみて、その間の人間、主に脳の時間について考えてみたいと思います。ただし、話は完全に整理されてはいないので、断片のような話になるかと思います。

 

まず、原子についてです。原子は、大雑把な取り扱いとして、原子核と電子から構成されています。例えば、原子核1個、電子1個から成る水素原子の場合、原子核と電子の間には、静電引力などの力が働いていて、また、電子は原子核に対して1000倍以上質量が小さく、原子核に対して電子はある半径の範囲内に存在しています。ある瞬間をカメラで撮影すると、原子核を中心に、ある半径を持った球体の中のある位置に電子が1個あるという画像が得られます。そして、もう一度同じように撮影すると、原子核に対して先ほどとは違う位置に電子がある画像が得られます。そのようにして、カメラをコマ送りのように瞬間瞬間を撮影すると、すべて異なる位置に電子が存在する画像が得られます。原子核に対して電子はとても軽いため、電子の動きに対して原子核は止まっているように取り扱う事が出来て、カメラのシャッターを開く時間の幅を引き伸ばすと電子が原子核の周りを雲のように分布している様子が観察されます。つまり、原子核や電子は1つ1つ粒子にもかかわらず、ある時間の範囲では、この場合電子は雲のように全体に広がります。通常の量子論的取り扱いでは、水素原子は数Å(10-10 [m])程度のサイズの球体ですが、それは時間を止めた瞬間の水素原子の姿ではなくて、ある幅を持った時間範囲以上の姿です。具体的な時間範囲は分かりませんが、少なくともナノ秒((10-9 [m])程度のごく短い時間範囲ですでに水素原子の姿は球体として取り扱えると思います。言い方を変えれば、原子の中で電子は、そのようなごく短い時間の中を刻々と位置を変えながら動いて回っている事になります。

 

では、人間社会の時間について考えてみたいと思います。例えば、都市の人口の分布についてです。ある都市に住んでいる人々は1日中目まぐるしく動き回っていると思います。ある瞬間をカメラで撮影すると、ある分布の画像が得られますが、また別の瞬間では異なる分布の画像が得られると思います。刻一刻と、人々の分布は異なったものになっているはずです。ですが、24時間シャッターを開きっぱなししていたら、瞬間瞬間の画像とは違う分布が得られると思います。人々の1日の平均的な人口分布が得られます。そのようにして、月曜日の1日24時間の人口分布、火曜日の人口分布、と毎日撮影すると、ほとんど同じような分布が得られると思います。その意味で、その都市はある分布の形を持っています。都市を人口分布の形だとすれば、都市の姿は今日も明日も変わりません。そして、都市には様々な機能があります。駅や道路などの交通機関があって、店やオフィスがあって住宅街があります。繁華街もあります。役所や学校もありますし、警察や裁判所もあります。それらの機能は人間の都市での活動によって維持されていて、毎日の人々の活動によって都市は形成されてもいます。それでも、都市の姿は今日も明日もそんなに変わりません。一方で、都市の瞬間瞬間のリアルな姿は、刻一刻と人々1人1人の活動によって生き生きと変化しています。ある人がある駅から隣の駅まで移動している時、ある人は駅からオフィスに移動しています。例えば10分毎に撮影すれば、その画像は全く異なるものになるでしょう。そのような感じで、都市のリアルな生きている時間は、人々のダイナミックな活動時間そのものです。

 

では、人間はどのような時間を生きているのでしょうか。特に、意識に関する時間です。人間の脳は20cmもないほどの直径を持つ球体で、様々な脳神経系を持っています。その各脳神経系は、局所的に機能は違いますが、どれも主に神経細胞から成っています。神経細胞は隣の数多くの神経細胞シナプスを介してネットワークの3次元構造でつながって、分子やイオンを介して連絡しています。脳の中にある神経細胞はそれぞれの機能を持った神経系で絶え間なく活動を行っています。神経細胞の活動した発火の瞬間を脳全体として撮影すると、その瞬間瞬間で異なる画像が得られるでしょう。人間の意識として、ある瞬間何かを感じ、ある瞬間何かを思考します。その絶え間ない意識の活動は、おそらく脳内の神経活動に由来します。神経細胞の活動である発火現象における活動電位の発生時間は、ミリ秒オーダーで起きます。その発火現象は、神経から神経へ伝達されて、脳内の神経ネットワークの中で伝わっていきます。その時間のスケールは、ひとつの神経細胞の発火時間がミリ秒オーダーとすればそれより長い時間でしょう。人間自身が感じる自分自身の意識の動きから考えると、脳で何かを感じる時間は1秒もかからないか、1秒程度のオーダーです。思考の時間もそうです。複雑な思考の場合は、1秒以上はかかるかもしれません。神経細胞の活動が意識の源とすれば、脳内で神経細胞は1つではなく、脳全体で数多く活動しているわけですから、意識の活動は多数の神経細胞の活動の総合的なもの、脳全体に広がった分布的で集団的な活動と考えられます。ある事を考えたその瞬間の脳をカメラで撮影すると、脳全体に神経細胞が活動している様子が撮影されるでしょう。また、ある瞬間撮影すれば、異なる分布の神経細胞の発火の様子の画像が得られるでしょう。意識とは、そのようにして、脳全体に広がる刻一刻と変化する神経細胞の発火現象の分布的な広がりだと捉える事ができると思います。その時間は、おそらく、感情や思考の絶え間ない変化、意識の絶え間ない変化から想像すると1秒もしないうちに変化するものだと考えらますし、神経細胞のミリ秒オーダーの発火現象の時間より少し長い時間という意味でも、時間的には合っています。そういう意味で、意識は脳全体に常に分布していて変化していて、その時間はサブ秒から数秒だろうと思います。それが、自分たち人間のリアルな実感の生きる時間だと思います。

 

このようにして、電子や原子核から成る原子の姿は量子論的な取り扱いによって確率論的に決まっています。また、人間の集団や社会として都市を例に挙げましたが、その姿も確率的、平均的な姿が都市の姿と言えます。シュレディンガーの猫のように、ある瞬間人々はあるオフィスの中やある駅の構内、ある車内に居て、ある瞬間いないわけです。そして、人間の意識も、ある神経細胞はある瞬間発火して、ある瞬間は発火していないというシュレディンガーの猫の話と同様な事になっていて、脳全体としては確率的にある分布に相当する意識の姿を持っているわけです。そして、意識の時間に基づく私たち人間のリアルに生きる時間は、サブ秒から数秒の時間というわけです。