毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

1日の中で疲れを感じた事。会社・会話。そして反省。

今朝起きたら、疲れを感じていました。色んな事で疲れはたまるので、その原因を特定する事は難しいですが、例えば前日何に疲れを感じただろうという事について、思い出してみる事にしました。それで、自分がどんな時に疲れを感じ、疲れが溜まりやすいのか、探ってみたいと思います。

 

少なくとも2つ。会社での仕事と、妻との会話かな、と思います。

 

私は研究者として仕事をしています。実験を進めるために必要な装置を購入しようとしているのですが、社内の承認プロセスが多段階になっていて、幾つかの部署の承認を経て、実際に発注のプロセスに移るわけです。その為、購入するための書類をいくつか作成して、提出するわけですが、昨日は案の定、安全グループで装置の使用に関する安全性について指摘があって、承認プロセスがストップしてしまいました。よくある事なのですが、自分の中でこのプロセスを速く済ませて、さっさと発注したかったために、指摘のメールが入った時、凄くストレスを感じてしまいました。

 

もうひとつは、妻と会話がスムーズにいかなかったという事です。最近、妻は放送大学のテキストで、フランスの現代哲学について勉強しています。フランスの現代哲学は、構造主義など私も好きな内容です。昨日ちょうど一章から読みだしたようで、とても難解だったと言っていて、どんな内容だったのかという事について話をしました。導入として、ベルクソンの「直観」について説明があって、これに対して人間には「知性」があるというような話で、妻は個人的には「知性」の方が重要だと思うと言ったので、それはそうだけど、ベルクソンの時代では、プラトンデカルトの流れがあるから、人間を取り戻す意味で「直観」の発見は重要だったという事を主張したいがゆえに、力説してしまいました。しばらく、妻が「知性」、私が「直観」、みたいな立場の、かみ合わない主張を繰り返して、妻が疲れ果ててしまいました。私も、またどうでもよい事で力説してしまったと後になって後悔していました。

 

疲れを感じた事はこの2つです。

 

会社での事を振り返ると、このような事はよくある事です。社内の承認プロセスは一般に時間がかかります。そんなに高額のものでもないので、さっさと発注したいという思いがあったので、そこでプロセスが止まってしまうと、発注がかなり遅くなることになるので、うんざりしてしまったわけです。ですが、各プロセスは、会社としての安全性の確保など必要なプロセスで、そこには多くの人が携わっていますから、時間がかかってしまうものなのです。自分が、仕事を思い通り進めたいという気持ちが強くて、思い通りにならないとストレスを感じてしまったという事です。

 

妻との会話は、このようなやりとりはこれまでのよくありました。今思えば、そんなに強くベルクソンの立場を主張しなくても良かったように思います。単なるちょっとした会話なのに、自分の主張を通したいがあまり、妻に分かってもらおうとしてしまったわけですが、結局、妻を疲れ果てさせる結果になってしまったし、これも自分が自分の話を思い通りに進めようとしてしまった結果です。妻は昨日は元々疲れていたと言っていて、本当に妻に申し訳なく思っています。

 

自分の場合、この「思い通りにしようとして思い通りにならない」という事がストレスとなって、それが疲れの原因のようです。でも、思い返せば、「思い通りにならなければならない」というわけではないのです。自分の中の問題で、客観性を欠いているわけです。

 

そのようなわけで、疲れの原因は、思い通りにならなかったために強くストレスを感じた、というような事でした。でも、こうやって反省してみると、自分の疲れやすいパターンが見つかるのは良い事です。もっと自分を上手くハンドルできるようになっていきたいと思っています。