毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

友人との共依存の問題

私には、会社に入って10年以上の友人がいますが、彼は地元で同じ大学出身という縁もあって、仕事だけでなく、プライベートでも会ってお茶や食事に行くような関係を続けてきた関係です。

彼は、メンタルに大きな問題を抱えていて、大学時代の先生からのパワハラにはじまるトラウマから、会社に入社した後の数年おきの幾度の上司からのパワハラなど、多くの苦しみを経験してきました。

 

これまでに聞いた話から、彼は子供の頃に大きな病気を抱えて、小学校の低学年まで1年の大半を病院で過ごすなど、身体的な苦労をしてきて、親もその事に苦労したのか、思えば彼はネグレクトだったのだろうかという印象を持っています。地元は田舎なので、会社の大型連休や年末年始が来るたびに、本人は長男という事もあって、必ず帰省しているのですが、親との会話も特になく、親や祖母を心配し、また、逆に心配されるという関係にあるようで、実家にいても心地よくないようでした。年々、義務感で帰省するのが本人にも明確になってきたようで、連休のたびに帰省するのを嫌がり、でも、地元から遠いこちらにいても行くところもないようで、結局帰省するお金を渋りながら嫌々帰省するという感じでした。

 

彼はまた、会社入社後に、入社前の大学でのパワハラによるトラウマが原因だったのか、買い物の欲求が抑えきれず、数百万円の借金を抱えていました。その頃から、彼と私の関係が始まりました。思えば、友人関係と言えるのかもわかりません。彼は、恋人もいなくて、今でも独身なのですが、孤独感を抱えていて、それでよく誘われて、週末に食事に行ったり喫茶店に行ったりしていました。そのような関係が10年くらい続いていたのでしょうか。

 

しかし、食事をしても、喫茶店に行っても、一緒に過ごす1時間とか2時間は、私としては会話することがつらくて、正直不快なものでした。彼は基本的に自分の話しかせず、会社や上司の不満ばかりでした。私なりに、話をより良いものにしようと努力してきたのですが、自己中心的な彼との会話は苦痛で、話は聞いてくれないし、私が自分の話を持ち掛けても自分の話にすり替えて、結局自分の話ばかりするしで、自分は彼の親でも兄弟でもないのにと、不満を抱えていました。

 

彼は、ずっと精神科の病院に通院していて、会社の産業医及びカウンセラーにもお世話になっています。しかし、メンタルの状態はそんなに良くなっていないように見えます。確かに、入社して5年くらいまでは、以前の大学でのパワハラとそれを原因とする借金、さらに会社でのパワハラで苦しんでいたことを思えば、その後の幾度かのパワハラの後のここ一年は同年代の良い上司に恵まれたようで、メンタルの調子も落ち着いて働きやすくなってきたと言っています。ですが、私は彼と今でも会話をするのは依然として難しく、ここ半年は一定の距離を置くようにしています。

 

一度彼は、メンタルの調子を悪くして、会社に行けず自宅のアパートからも出かけられない状態になったことがありました。それで、自宅まで行ってみたところ、部屋はごみで散乱していて、食べた形跡はあるものの、流しにたまったたくさんの食器類は洗いもせずそのままになっていて、聞いたらその汚れた食器をまた洗わず使うと言っていました。体調も悪くなっていて、彼はどうする事も出来ない状態になっていて、その時「自分がどうにかしないと彼は死んでしまうかもしれない」と思ったのを覚えています。

 

話が長くなりましたが、そういう事もあって、彼は親や他に人にも頼れないし、自分が彼をどうにかしないといけないんだと強く思うようになってしまっていたように思います。

 

そんなこともあって、彼が私に精神的に依存する関係がずっと続いていて、たまに週末ランチに行ったり喫茶店に行ったりという関係を何年も続けてきたのですが、私自身も彼との関係に疲れてきて、というか、不満がたまってきていました。話をしても、元気になってくれないし、ずっと不満を言っていて自分から自立していく気配をないし、自分の話ばかりして話自体も苦痛だし・・・。

 

彼は、人間関係があまり上手でなく、人と上手く会話をする事が出来ないため、孤立しがちです。相手の空気が読めないところとか、尊大な物言いとか、とにかくコミュケーションが難しく、双極性障害のようであり、発達障害のようでもありますが、私は専門家でないので正確な事は言えません。私も困って、これ以上この定期的な食事や喫茶店は続けられないと思うようになっていました。そして、今年はコロナ禍でしたから、外で会うのではなく、毎週末1-2時間の電話をしていたのですが、その定期な電話も苦しくなっていたので、本人に、「親からのネグレクトや発達障害の可能性もあるから、医者やカウンセラーに相談して治療方針を変えたらもらったらどうか」と話してみました。彼はカウンセラーに相談するとは言ったものの、治療方針が変わっているのかもわかりません。

 

それが半年ほど前です。その頃に、私と彼の関係は”共依存”の関係にあるという事に気付きました。気づいたというより、妻から指摘を受けて気付かされました。確かにそうだと思いました。

 

自分が彼と関係を続けているのは、彼が自分を頼っているからと思っていたのですが、自分の中でも無意識に、自分は彼との関係で、「自分が彼を支えている」という感覚でエンハンスされていたんだと思います。自分が彼を救っているんだという感じで、自分に力を感じられていたから、頼ってくる彼との関係を続けられていた。そして、それがいわゆる共依存の関係で、不健全であったという事に、その時初めて認識できました。彼だけの問題だと思っていたのですが、実は自分の問題でもあったのだと気付けたのです。自分も共犯だったと気付いたので、それから距離を置く事を決めました。

 

それから、話をするのは会社だけにして、プライベートで会ったり話したりするのはやめるようにしました。そして、半年たちましたが、彼は良くも悪くも変わっておらず、会社にもちゃんと行っています。会社であったときに話す限り、仕事は順調だという事でした。その事で、自分が定期的に会って話を聞いたり、会ったりしなくても大丈夫なんだという事が分かりました。彼とちゃんと距離をとって、彼の自立を信じようとすることで良かったのだと。なんで元気にならないんだといつも困っていたのですが、それは自分がそう思って憤っていただけで、彼は彼で自立していけるし、実際自立していけたというのは、本当に良かったと思っています。この半年、距離を置く事で、私の心も本当に楽になりました。

 

そして最近、また、「会って話をしてくれませんか」とラインで誘われました。最初は、「最近は元気になってきているし、コロナ禍もあって実家にも帰れないようだから、会ってもいいかな」と思ってOKの返事をしようとしていました。でも、心が苦しくなってきました。心がNoのサインを出しているのです。なぜそんなに心が苦しく締め付けられるのか分かりませんでしたが、しばらく考えて、長年不快で苦しい会話を我慢して続けてきたせいで、その苦しさを身体が覚えているからだと思いました。よほどつらい体験だったんだと思います。

 

でも、それを断るのにまた苦しくなりました。何故苦しくなるのかですが、妻に聞いてみると、”罪悪感”だと言うんです。そうか、と思いました。この罪悪感のせいで、いつも断り切れず、会う約束をしていたんだという事が思い出されました。妻は、親とのそのような関係に苦しんできた人だから、すぐ分かったようです。そう気づいて、申し訳ないと思いつつ、すぐに断りのラインを入れました。正直、心は軽くなりました。

 

彼の頼みを断るのは申し訳ない、という罪悪感が、彼との不健全な関係を継続してきたんだと思います。まさに、自分は共依存者だったんだと思うと、色々と彼に対して申し訳なく思う部分もありますが、自分も正直どうしても良いか分かりませんでした。もっと早くこの共依存の仕組みに気付けていたら、とも思いますが、彼も苦しんでいたし、どうしようもなかったと思います。

 

自立とか、主体性とか、そういった事は本当に重要なんだと思い知らされました。共依存は、人間誰も潜在的な持つ性質なんだと思います。自立して生きるという事は人間にとって大変な事ですが、それでも、自立を目指して生きていく事は、自分にもみんなにもきっと良い事だと思います。