毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

引きこもりの原因がインターネットなら、引きこもりを解放するのもインターネット。

最近、テレビでもネットでも、「引きこもり」に関する話題が増えています。今年はコロナ禍もあって、引きこもりがちの生活をしている人が増えたこともあって、みんなの関心事と言えるのかもしれません。今回は、引きこもりの原因はなにか、そして、引きこもりはどのようになっていくのかについて、話したいと思います。

 

引きこもりの原因は何か。これについて考えてみたいと思います。引きこもるとはいったいどういう事でしょうか。引きこもるというわけですから、何かを避けようとして内に引きこるわけです。何を避けようとしているのでしょうか。きっと、「世間の目」みたいなものなのではないでしょうか。世間の目は昔からあったわけですから、ここ最近、数十年の話題であることから、最近の何らかの社会現象による考えるのが普通だと思います。

 

フーコーの監視社会の話はご存じでしょうか。フーコーは20世紀中頃に「監獄の誕生」という本を書いていますが、「パノプティコン」という昔設計された監獄のシステムの話を例に出して、すべての個人が監視される社会が来ることを予言しています。私はまさにこれだと思っています。そして、それを加速させたものは何か。言うまでもなく、インターネットでしょう。基本的には、情報やメディアの機能によって、この問題は説明できると思いますが、ひきこもりを生み出すほどの実質的な大きな効力があったのは、インターネットと言えると思います。最近、どのくらいの人がFacebookで自分が普段やっている事をアップしているのかよくわかりませんが、ツイッターやインスタグラムの人気の具合を考えると、多くの人はSNSを利用して、自分の日常をインターネットに拡散しているように思います。同時に、多くの人の日常もSNSを通して見ている事になるのですが、インターネットによる比較の世界の中で、SNS上で活躍しているように見える人々を通して、自分が活躍している人たちより劣っている事を突き付けられやすくなっています。そして、現代の「世間の目」であるインターネットからの監視の目、実際には自分も他人も一緒になって監視し合う目によって、引きこもりの人々が増えているんだと思います。AIの発展も、人間をデータ化する意味で、これに似たプレッシャーがあると思います。

 

人間は、つながって社会を作りたい生き物ではありますが、一方で自由気ままで放っておいてほしい生き物でもあると思います。

 

そして、引きこもりの原因がインターネットなら、引きこもりを解放するのもインターネットではないかと私は思っています。インターネットは、世間の目を避けながら生きられるネットの空間が広がっています。バーチャルの空間も同じ事が言えると思います。インターネットの空間は、世間の目を避けながらも、実は実際の人々がそこに存在しています。もちろん、ネットの住人になる事が解決方法だと言っているわけではありません。ただ、人は、比較の世界の中でだけ生きていたいわけではなく、自由気ままに生きられる社会を求めているという事だと思います。猫動画が最近人気なのは、猫たちは、比較の世界、すなわち、監視し合う世界とは無縁な生き方をしているように見えるからではないでしょうか。きっと、人間も、そんな猫たちのように、気ままに生きる事にあこがれているのです。

 

ひきこもりの原因は監視し合う社会、そして、それをインターネットが促進していると思います。そして、同時に、ひきこもりはインターネットの世界によって解放されるのではないかと思います。ブログなどは、普段の生活では聞けないような人の声が聞けたりしますし、今では会社などでの日常より自由かもしれません。インターネット社会は、これからも続くと思います。そうであるなら、むしろ積極的にインターネット社会で、自由気ままに生きていきたいと願うばかりです。