毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

引きこもりについて考える。ポジティブな面。

今日は、「引きこもり」という事について考えてみようと思います。話そうと思うのは、このところ私の妻が引きこもりだからというのがあります。1年半前の新型コロナの問題に入る直前までアメリカに住んでいて、それから帰国して以降自粛ムードになっていったことも重なっていると思います。妻は、子供の頃は家族の問題、私と出会った頃以降も長くうつ病などに苦しんできました。最近引きこもり生活が続いている事を心配しているのですが、妻と接しているとむしろ本人は以前より楽で良いという感じなのです。

 

外に出かけませんから、体力もおそらくあまりなく、体調も不良になる事が多いのですが、私と毎日普通に会話をし、食事も普通に摂って、洗濯などの家事もしています。以前までは、無理して外に出かけようとしていつも疲弊しきっていました。また、病院にも通い続けていましたが、無理に外出するのもきつくなってきて、この新型コロナ禍もあってほとんど家の中にいるようになりました。むしろ家の中で快適に暮らす事を今は選んでいるように思います。子供の頃から、家で快適に暮らすという事が出来ていなかったという事もあったようで、のんびりできる事、快適でいる事自体がとても大切なんだという事を思わされます。

 

最近、世の中も、引きこもりの人が増えてきているように感じます。実際は、増えてきているというか、インターネットや社会でも、そのような実態が普通に言えるようになってきたんだと思います。

 

引きこもりというのは、社会から見ると社会問題という位置づけになるようですが、実際に引きこもりという実態はあるし、人としては問題ではないように思います。それより、人がいかに安全に、安心して暮らすことが大事か、快適に暮らすことが大事かという事だと思います。

 

むしろ、引きこもりに関して、引きこもり問題をどうするかとか、引きこもりからどう脱出するかとかネガティブな側面ばかりではなく、ポジティブな側面がもっと見えてくると良いなと思います。妻を心配してたまに何か言うと、「そんなに心配しなくていいよ。今は以前より幸せに感じるから。」と言ってくれます。「引きこもり」と「幸せ」との関係とは何だろうと考えさせられます。

 

もはや、引きこもりという事そのものに悩んでいるのは妻よりも自分自身という感じです。おそらく、社会問題としても、引きこもりをしている当事者より、引きこもりの家族や周りの人が悩み苦しんでいるという問題が、別の問題としてあるんだろうと思います。

 

自分自身、妻との生活の事でどうしていく事が望ましいか分かりませんが、引きこもりに関するポジティブな面などを考えつつ、どうしていくか考え、学んでいこうと思います。