毎日の習慣や哲学の実践をつづる40代ブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けている40代です。

コロナ禍で社会システムがインターネット社会に移行する

今年は、世界中の人々にとって大変な年になってしまいました。新型コロナの影響で、多くの人が苦しみ、亡くなり、経済も停滞してしまいました。ウィルスが人から人へ感染してしまうので、物理的に密集する事を、避けないといけなくなりました。また、多くの人が集まるような場所にも行きにくくなってしまいました。朝と夕方の密な電車なども利用しづらいですし、飛行機なども狭い空間に数時間密集した状態になりますから、特に良くないとされています。航空会社は大打撃です。都会のデパートなどにも人は集まりにくくなりました。人が密集するからです。レストランなどは人が密集する上に、マスクを外しますから、感染する条件に当てはまります。だから、外食産業も大打撃です。その意味では、学校や会社も人が集まりますから、当然避けた方が良いわけです。そのようなわけで、社会はこのコロナ禍の影響によって、物理的に集まりにくい社会になってきているわけです。

 

一方、会社などでは在宅勤務を推し進めてZoom会議で打ち合わせやコミュニーションをとるなど、工夫がはじまっています。学校の授業もそのようなスタイルです。ゲーム業界やIT業界は、このコロナ禍にあってそれほど業績を落としていません。上がっている会社もあります。その意味で、経済社会は人と物理的に集まらなくても、原理的には対応しうるわけです。インターネットを利用したシステムをもっと推し進めれば経済はそれで回せるようにできるわけですから。また、元々スマホは多くの人が持っていますから、人は直接会わなくてもコミュニケーションをとる機会は持っているわけです。世の中は、かなり経済に依存していますから、経済が潤っていれば、人間社会は営んでいけるわけです。

 

ですが、人間は物理的に身体を持っていますから、完全にインターネット上で社会生活をすることはできません。その意味では、身体から成り立つ人間は、食料が必要です。また身体はすぐ調子が悪くなりますから、病院には行かないといけません。身体が物質からできている以上、「モノ」は必要です。インターネット上だけでの暮らし、社会生活はありません。ただ、多くの人との物理的接触を無くしていく必要があるわけです。人との物理的接触さえ抑えれば、ウィルスは感染しませんから、社会システムを維持できます。

 

そう考えると、多くの人が物理的に集まらない社会システムは、案外やっていけるのではないでしょうか。人はもともと、そんなに多くの人と物理的接触が必要な生き物だったのでしょうか。そんなに、みんなで一か所に密集してまで集まりたい生き物だったのでしょうか。

 

今の時代、人は生まれてから6年ほど経って義務教育で小学校、中学校と9年間学校に通います。保育園や幼稚園を入れると、それよりも早い段階で大勢の人で集まる社会システムの人生が始まります。そして、高校、大学と進学したのち、就職などで、会社に勤め始めます。そこにも、人はたくさんいて、密集状態を経験します。少なくともこれらの過程では、望んで密集しているようには思えません。そういう仕組みになっているから密集状態を経験しているだけです。密集しないならしなくても良いように思います。つまり、大勢の人が集まる理由は、集まりたくて集まっているのではなく、必要だったから集まっているだけです。

 

これからは、学校、会社などは、インターネットを介したシステムに変更できます。産まれてからしばらく親の元にいて、それからインターネットを接続するシステムに参加して、授業を受け、会社に勤めるのです。しかし、気になるのはそのようにインターネットを介したコミュニケーションばかりとっていると、人とのコミュニケーションがインターネットを介した能力しか発達しないのではないかという事です。人が集団となって一緒にいる時に感じ取る感覚が育たなくなるではないだろうかという疑問です。その意味では、ますます、親との物理的に直接の関係性、コミュニケーションが重要で、ほぼそこでしか物理的なコミュケーションが体験できないのでないかと不安になります。実際、現代は家族間の関係も希薄になってきていますから、家族内での親と子の密なコミュニケーションがとても重要になってきて、多くの人々は実はこの不安感ははじめてというわけではないと思います。コロナ禍が起こる前から、社会の人々は、物理的に集まらない社会を経験しはじめているのです。そして、一部の人はインターネットを活用して積極的に適応できていたりします。

 

このように考えてきますと、今年のコロナ禍を境に、社会はインターネットを中心とする社会に大きく変わっていくのではないかと予想されます。実際、企業などはこの状況に適応してITを積極活用して新たな産業構造を作り出そうとしていますし、学校なども適応してきています。基本的に、国家運営は資本主義経済システムを重んじていますから、それに合わせて、つまりIT社会への変化に合わせて政策も変えていくだけです。内閣の大臣に、新たに、デジタル改革担当大臣という大臣が配置されているのを見ればわかります。経済システム、社会システムが大きく、インターネット社会に変更されていくのです。

 

あらためて、人は物理的に密集して生きていかなくてもいいのでしょうか。人は多くの人と出会って、人間関係を作って、恋人や結婚相手を見つけて、子を作って繁栄しています。物理的接触が減るとその機会が減り、人類の人口は激減するのではないだろうかと疑問が出てきます。ですが、上で少し話しましたが、人はそもそもそんなに多くに人と密になっていたいのでしょうか。最近、HSP(Highly Sensitive Person)や内向型人間というワードが注目されるようになって、そもそもそんなに密でなくても良かったのではないかと思ったりもします。むしろ密になり過ぎていたのではないか。在宅勤務で喜んでいる人も多いのではないでしょうか。学校でのZoom授業を楽しんでいる人も多いのではないでしょうか。

 

これから、社会システムは物理的に集まる社会システムから、インターネットの社会システムに移行していくのではないでしょうか。人と直接会う機会は抑制される社会です。コミュニケーンは直接会ってやり取りするスタイルから、インターネットを介したコミュニケーションに変化するのです。そもそも人々は文書でのやり取りは長い間メールなどやってきていますし、出来ないとは思いません。実際、科学技術の発展は、アバターVR、ARの技術が進んできていますから、直接会わなくても、直接会ったような体験をすることは可能になる時代はあり得ます。

 

人は物理的に人と会う時、直接会う事を強制しないインターネット社会システムの中では、積極的に、能動的な気持ちで初めて為されることになるでしょう。この人と会いたい。話がしない。そういう時だけ人と会って、それ以外はインターネットを介したコミュニケーションで済むわけです。結婚相手が親から決められていた時代から自由恋愛に変わるのと似ています。人間関係の自由です。

 

身体からなる人間が、物理的に集まることで獲得していた感覚器官の活動やコミュニケーション能力は、インターネットを介したコミュニケーションに適応した能力に変わっていくのかもしれません。そして、社会や文化が、物理的に集まる社会、地理的な意味で地域に根差していたような文化から、インターネット文化に変わっていくのです。国家などの地理的な文化背景の色合いが、インターネットの文化の色合いに変化していきます。それは一体どのような社会、文化なのでしょうか。でも、人間はおそらくどんな社会に対しても適応していくように思います。