毎日の習慣や哲学の実践をつづるブログ

毎日の習慣、考えている事、実践について、基本哲学好きとして、とにかく書き続けています。

どうしていいか分からない。そんな時は挑戦するしかない。

人生、この先どうしてやっていったらいいか分からない。悩みますよね。自分は一体何をしたいのか。何をしたらいいのか。問題はきっと山積みのはず。問題は、自分の問題をいかに解決していくか。でも、その人生の問題は難解で、どうにも分からない。

 

人生本当に分からないことだらけ。でも、それっておかしいのでしょうか。おかしくないんです。むしろ、人生分かっていたら、そっちの方が不思議です。だって、人間って、人生や未知な事は分からないようにできているんです。そもそも人間なんて、大した生き物じゃない。分からない事だらけの中を昔から生きてきたんです。人類はたくさん経験して学んで、科学的に少しずつ確からしいことを積み上げてここまで来たんです。それでも、人類はまだまだ分からないことだらけです。それが人間なんです。確実な事なんてないんです。

 

そういう前提で考えていくと、分からない中で、この先の未来が不透明の時、難解な問題をいっぱい抱えている時、そんな時どうするか。挑戦するしかないんです。足場があるかどうかわからない見えない地面の向こうに、跳躍するしかないんです。それが人間の方法なんです。この考え方はとても謙虚です。人間は神ではありません。所詮は人間です。分からない未来に跳躍するしかないんです。

 

でも、挑戦と言っても、大きな挑戦もありますが、小さな挑戦もあります。私は、まずは、小さな挑戦をお勧めします。小さな挑戦とは、習慣を作ることです。習慣というと地味に聞こえるかもしれませんが、そんなことはありません。習慣も挑戦です。習慣にしていくという事は、出来なかった事を出来るようになることですから、大きな変化です。大したことないちっぽけな挑戦と思うかもしませんが、習慣化する前には超えられなかった未知のものが、向こう岸への小さな跳躍によって未知でなくなるです。

 

また、小さな挑戦とは、例えば、小さなリスクをとることです。上手くいかないかもしれない。でも、上手くいったら人生を前に進められる。でも、ちょっと危険かもしれない。そんな小さなリスクを引き受けて、跳躍するんです。その小さなリスクを繰り返していく事で、大きく変われます。どうしていいか分からなかった自分が、小さなリスクをとることによって、危険な川を渡って向こう岸に立っているのです。そして、見えない景色が見えています。小さなリスクは、分からなかったものが少しわかるようになります。

 

そして、人と話をすることです。コミュニケーションをとることです。実は、これも立派な挑戦です。言葉は完ぺきな情報交換ツールではありません。いくら言葉を尽くしても絶対にその内容は伝えられません。そして、その前に、伝えたいその内容を完ぺきに言葉として言語化できません。さらに、仮に、あり得ないですが完ぺきに言葉で伝えたい内容を表現したとしても、相手は完ぺきには理解できません。これが言葉の限界です。人は、絶対に、確実な情報交換ができません。必ず会話はあいまいなものになります。そして、お互いの推論で何とか分かり合った気になります。これが話をするという事であり、コミュケーションをとるという事です。絶対に分かり合えない者同士の間でなされる挑戦です。コミュニケーションほど、チャレンジングな事はありません。でも、その挑戦こそが、分かり合えていなかった二人の何かを分かり合えるものにすることがあります。その挑戦こそが大事なのです。得られるものは計り知れません。

 

何故、人は挑戦すると、分からない状態でも前に進めるのか。挑戦とは、今言った通り、分からない中でも前に進む人間の方法です。それは、習慣と同じで、変化するという事です。人間が進化していくという事です。変化していく、進化していくという事は人間の、人類の営みそのものです。そのプロセスを通じて、人間は分からない事を分かるようにしていくのです。

まだ何も挑戦していない事、経験していないことは、人間には絶対に分かりません。それが人間です。だから、どうしていいか分からないと嘆くときは、まず、どうしていいか分からない事は人間として当たり前なんだという事を思い出しましょう。そして、小さなリスクやコミュニケーションを挑戦してみましょう。きっと何かが分かってきます。そうやって、分からない状態でも前に進めるはずです。