毎日の哲学の断片をつづるブログ

日々哲学することを習慣とし、思考と言葉をつづる

習慣化による認知の固定化と変容。

自分の日々の生活は、習慣によって成り立っています。日々何をしているか、まさに習慣によって1日は形成され、生活は構築されているわけです。

 

コーヒーを淹れるという習慣においては、コーヒー豆を買ってきてそれを自分で挽いて淹れるという行為が習慣を成り立たせるわけです。これによって、コーヒーを淹れることに慣れ、上達して、美味しいコーヒーを淹れられるようになるわけです。

 

習慣によって技術が熟達するわけです。

 

コーヒーを自ら淹れることが熟達してくると、その習慣は固定化され、それをベースとして色んなことが派生的に新たに生まれてくる可能性が出てくるわけです。

 

そのような展開によって、習慣化の取り組みは自分自身に変化をもたらすわけです。

 

ブログを書く、という習慣においても、毎日ブログを書くことによって書く習慣が身につきます。そして、その技術が熟達して洗練され、自分のものとして固定化されて、それをベースとして新たな展開が可能になります。

 

習慣化は、自分自身に学習をもたらします。言い換えると、自分自身の行動を固定化し、変容させていくわけです。

 

そして、固定化され、変容させていくのは、行動だけではありません。

 

人間の認知も固定化され、変容していくのです。

 

ブログを書くことによって、自分の中に知識が増えていきます。また、考えることも変わってきます。思考も深まってきます。

 

そして、自分が何を感じ、何を思い、何を考えているかも分かるようになってきます。自己認識が高まってくるということです。

 

毎日のようにブログを書いているわけですから、自分自身に向き合わない日はないわけです。その度に、自分と向き合いながら言葉を紡ぐことによって、自分についての言語化も上達します。

 

もちろん、自分自身のことだけではなく、ものの見方も変わってきます。自分が生きている世界に対する認識も更新されます。

 

自分の中の認知上のことが、ブログという習慣を通して固定化され、変容していくわけです。

 

認知を固定化し、変容させるのはブログを書くという習慣だけではありません。コーヒーを淹れるという習慣も、自分自身の認知に影響を与え、変容をさせていきます。

 

あらゆる習慣が、その習慣に基づいて、自分の行動だけではなく、認知も固定化し、変容させていくということなのです。

 

いっけん、習慣化に取り組んでいても何かが変わったのか、わからないことがあります。現実が変わらなければ変化を実感しづらいからです。

 

ですが、習慣による変化は、外側だけではありません。内側も変化しているのです。自分自身の認知が、固定化されて、変容されているのです。