人は、気が付いたら未来のことを考えてしまいます。未来を変えたいとか、未来についての不安とか、そういったことで頭がいっぱいになってしまうわけです。
人間は認知上、「今」を生きているのであって、未来を「今」にすぐ引っ張ってくることはできません。その意味で、未来についてはいくら考えても未来のことでしかなくて、未来がどうなるかは、「今」の状況で判断するしかありません。
「今」は過去からの連続した延長線上にあって、過去からの結果が「今」に実現しているわけです。そのように考えると、未来というものは、これから過ごしていく「今」の延長線上の先にあって、過去の時点において考えた未来が、「今」実現しているかどうかで判断できるわけです。
その意味で、「今」にとっての未来とは、過去にとっては「今」ということです。
ある時点での過去から見たとき、「今」はどうなのでしょうか。半年前の時から振り返ってみたとき、「今」は何か変わったのでしょうか。その時不安に思えた未来は、「今」現実のものとなっているのでしょうか。
基本的には、人間は常に「今」生きていますから、未来は「今」におけるものであり、「今」に基づく想像であり、不安であるわけです。
未来がどうであるかは、「今」の状態から判断するしかないわけですから、過去のある時点から振り返ったときに「今」どうなのか、ということでしか現実的なことは考えようがありません。
ですから、未来のことを気にするなら、過去のある時点と「今」を常に比較しないといけません。過去にとっての未来(である「今」)を「今」あらためて確認するということです。
その習慣があれば、未来がどうなるかはある程度把握することができます。ただ、あくまで、過去からみた未来である「今」からの補助線のような形で、今からの未来を想像できる、ということです。
確かに振り返れば、過去のあの時にあれをやったことが、「今」に影響を与え、変化をもたらしているわけですから、その意味で、「今」から何かをするということは、確かに未来を変えることにつながります。
未来がどうであるかは、ある時点での過去からの補助線としての「今」の状況から、暫定的に想像できるということなのです。
そのように考えると、「今」できることはたくさんあります。過去から「今」までの習慣が「今」を形作っているのであれば、あるいは、過去のある行為・行動が「今」を決定しているのであれば、「今」何をするか、そのことは重要だということです。