習慣は、基本的に何かをやり続けることが習慣化だと思われがちですが、何かをやらないようにすることも習慣化のひとつです。
習慣は人の生活を形作る基礎的なものですから、その基礎的な部分をやることも習慣化になるし、やらないことも習慣化になるわけです。
起きてから寝るまでの生活のサイクルが習慣で成り立っていますから、今までやっていたことをやらないようにすることも、生活のサイクルを変えることにつながります。それも十分習慣化になります。
具体的に取り組んでいることを止めることも習慣化のひとつですが、一日のうちに無意識にやっていることをやらないようにすることも習慣化です。
振り返ってみると、そのようなことはたくさんあります。何か習慣化に取り組みたいという場合には、無理に今までやっていなかったことをやろうとせずに、無意識の習慣を止めてみる、ということも十分習慣化の取り組みになります。
どうしても、何か早く変化を自分にもたらしたいと思ってしまいますから、分かりやすいことを取り組みたいと思うわけですが、案外、手っ取り早く取り組めるのは、無意識にやってしまっていることをただやらないようにすることです。
それも簡単なことではないかもしれませんが、何か新しいことを取り組むということは、それをするための時間を捻出しないといけませんから、それよりも、すでにやってしまっていることを止めることは、実質可能でもあります。
また、一日を構成している何かを止めるということは、他のことをやるための時間を作ることにもなりますから、その意味でも、メリットは大きいのです。
自分の生活を自分で管理してコントロールするのは、自立への道であり、自由への道です。
自分でも把握できていないことに取り囲まれ、場所も時間もよく分からない環境の中でただ生活をするより、自分で少しでも把握できているということは、それだけでも十分自分の自由があるのです。
そして、その手始めとして、何かを止めることは、何かを新たに始めることと同等の、あるいは、それ以上の効果があるかもしれないのです。
ですから、そういったことを振り返ってみて、自分の生活をあいまいにしてコントロール出来ていない部分を改善して、ひとつのことを止めてみること。それだけで十分、習慣化としての意味があります。
習慣は、本当に自分の生活を形作っています。そして、形作っていることを思っているより把握できていません。
ですから、それらをたまには見直して、そして、何かを止めてみる。それも十分な習慣化になります。