人間の身体はいつも応答を求めています。応答を求めているし、応答しようともしています。応答のフィードバックの中で生きているのです。
どうにも人は頭でいろんなことを考えがちですが、それよりも以前に、人間の身体は何かをしようとしているのです。
人は人との間でコミュニケーションをとって、話をしたり、やり取りをしたりしますが、応答とはそれに限った話ではありません。
人とのことだけではなく、モノとの間でも起こります。コップを触ったときの、手に感じる触り心地やコップの重みも、人がコップに応答していたフィードバックであり、確かな実感がそこにあります。
人は実感とともに生きているのです。
もちろん、コップの背後には人がいるわけで、誰かがそのコップを作ってくれているのです。コップを介したコミュニケーションがあるのです。
人との応答でなくても、動物や植物、自然との関係も大切です。
自然の存在なしに人間は生きていません。自分たち人間が生まれる以前から自然はそこに存在していたのであり、むしろ、自然の中で人間は生まれたわけですから、自然に対して応答するのは自然なことです。
身体はいつだって応答する備えをしていますから、本来であれば、そんなに考えずに、今できることをただやればいいのです。
わたしたち人間が何かをやる行為によって、応答が生まれます。応答という生きる実感が生まれるのです。
人間は何もないところにいて、無重力の中に存在しているわけではありませんから、常に周囲との関係性はあるのです。常に応答して続けているのです。
感覚器官はまさに応答する備えをしているのです。
というより、今まさに周辺の何かに対して応答しているのであり、何かをするときのフィードバックであれ、コップの重みであれ、歩く動作によって足が感じているものであれ、自分自身の意識とは関係なく、常に応答の中にあるのです。
頭があって、身体があって、周りの環境があって、世界があって、というような順番になっているのではなく、むしろ、世界があって、環境があって、わたしたちの身体があって、頭があるのです。
頭と思い込んでいる自分自身がそこにいるのです。
ですが、実際には自分自身は身体とともにあって、分離されるようなものではなく、同じように、身体も環境とともにあって、分離されるようなものではないのです。
常に、応答し合っているのです。
わたしたちは、身体とともに、周りの世界と応答し合っていることを前提にして生きているのです。