毎日の哲学の断片をつづるブログ

日々哲学することを習慣とし、思考と言葉をつづる

やりたいことをやるという「目的」のために、人は「手段」として生きていく。

人はこれから先も生きていくために、仕事をしたり、お金を貯めたりしているわけですが、一体どこまでお金を貯め、いつまで仕事をすれば十分に生きていけるのか、わかりません。

 

安心して生きていくためには、十分にお金があった方が生きやすいし、仕事ができるのだったらできるだけやってお金がたくさん貯まった方が良いと思うわけです。

 

「今これくらいの貯金があるから、あといくら貯まったら安心できる資産になるかな。」と考えていても、その頃にはまた、「もっとお金が必要だ。」と思っているのです。

 

このような考え方をしていると、いくら働いてお金が貯まっても安心できないし、幸せも感じられません。

 

そもそも、「生きていくために」と、生きていくことを「目的」にして考えてしまうと、苦しくなるのです。

 

生きていくために、つまり、生き残るために、生存するために、という目的を持って生きる(トートロジーのようになっている)という考え方を、考える出発点にするのが良くないのです。

 

そうではなくて、やりたいことをやるために、生きていくと考えるのです。「生きる」のは手段であり、「やりたいことをやる」のは目的ということです。

 

人は何かきっとやりたいことがあります。もうすでにやりたいことをやっているかもしれません。

 

そういったことをやるためには、まず生きていないといけないわけです。そして、やりたいことをやり続けるためには、もっと生きていかないといけないわけです。

 

やりたいことをやるために(目的)、生きていく(手段)わけで、その上で、生きていくために、仕事をしたり、お金を貯めたりするのです。仕事やお金が生きるための手段です。

 

逆の言い方をすれば、仕事をやりたいこととしてやっているのなら、そのために生きていて、生きていくためにお金を貯めようとしているわけですから、問題ないのです。

 

確かに人は不安を抱えやすい生き物です。不安を感じない日はきっとありません。

 

不安に対して人間は敏感ですから、何かあればすぐにでも安心感を求めます。

 

ですが、それではずっと苦しいままで、幸せになれません。

 

ですから、生きること、生存することを目的にせずに、やりたいことをやる、ということを目的にして考えるのです。そうすることで、生きていくことは手段になります。

 

生きることはあくまで手段なのです。

 

やりたいことを無理やりひねりだす必要はありません。大それたことでもありません。

 

ただちょっとしたことでやりたいと感じていること、すぐにできることでやっていた楽しいことで、十分なのです。そういったことを少しずつ育てていくだけで良いのです。

 

そういったことのために、人は生きていくのです。