毎日の哲学の断片をつづるブログ

日々哲学することを習慣とし、思考と言葉をつづる

自分なりの杭を打って、手応えを感じて生きる。

人は一人では生きていけません。他人の力を借りながらでないと生きていけません。

 

確かに私たち人間は生まれたときから世界に投棄された存在ですから、どのようにしても、自分の人生を自分だけの手で掴んで生きていくことはできません。

 

人生のスタートは自分以外の人々の中にあり、その中から這い出て、這い上がり、生きていくのです。そうやって自分として生きていくのです。

 

その意味においては、最初から自分の自由なんてありません。自分が自由に生きるということについては、人生の何処かの段階において、自ら獲得していくものに他なりません。

 

自分なりに考え、自分なりに築き上げたもので生きてきたと思っていたものも、実は独力で手に入れたものでなかったり、気が付いたら与えられていたりします。一体どのようにして自分自身で生きていくのだと気付くことがあるかもしれません。

 

とは言え、どんな借り物でも、それを自分自身がとりあえず使いこなせるならまずは使ってみて、そして自分の足場を作っていく。人生とは案外そういうもので、すべて何もないところから自分で築き上げていく必要などないのです。

 

そんなことは困難極まりないことです。

 

少しずつでいいから、自分なりに自分で獲得していったらいいのです。そのことに、遅いも早いもありません。いつ、どんな段階で自分なりに獲得してもそれで十分なのです。

 

ちょっとしたことでも、自分なりに手ごたえを感じて自分のものにできたなら、それは自分の足場としては十分であり、人はそこから少しずつ自分の足で立ち上がることができるようになるのです。

 

自分の足で立ち上がって、ゆっくりとでも、前に進んでいけるようになれば、それでいいのです。そして、自分の思っている方向に進んでいければそれでいいのです。

 

そもそも、自分の思っている方向を見つけたり見出したりすることも至難の業であるわけで、自分の方向を持てたならそれでも十分大したものを獲得したと言えるのです。

 

自分なりの杭を打って、そこに足をかけ、自分の体重をかけて少しでも登っているのなら、それは十分の手応えのある前進であり、抵抗であり、進歩と言えます。

 

小さな進歩でいいのです。自分なりの、自分の足で進む小さな一歩でいいのです。

 

そもそも、そんな力は最初から無かったのです。圧倒される世界の中に放り投げられ、そこから借り物で這い上がり、そして、自分なりの足場を作って手応えを感じる。

 

小さくても確かな自分なりの手応えを感じたならまずはそれで十分なのです。