人はいつだって手応えを求めています。感覚器官を持っていますから、触った感触が欲しいです。
別に、手で触ることだけでなくてもいいのです。何かリアクションが欲しいです。
人間には関わる能力がありますから、関わった分その反動としてのリアクションが欲しいです。
何かを押せばその分の圧が反作用で返ってきます。押しても何も返ってこないのは嫌なのです。
確かな手応えが欲しいです。
人は歩くと、前に進んでいきます。自分の足を使って地面を蹴って前に進んでいくのです。
歩くことは、手応えを感じる初歩的なことです。確かに足を前に出せば、手応えとして前に自分の身体が進んでいくのです。前へ進むという手応えです。
地面は確かに応えてくれます。自分の足は、地面を掴み、力をかけた分、前に進む推進力を得るのです。地面からの反作用です。
人間は力を持っています。何かに使う力を持っています。ですから、その力を使いたいのです。使った分、何らかの形で返ってくることを期待しているのです。
生きているのですから、力を使いたいのです。自分の力を使ってそしてその手応えを感じて、その営みによって「自分は生きている」ということを実感するのです。
力を使うということは、人間という生き物の持つ自由です。自由でありたいのです。
自由は、自分の力を使ったときに感じるのであり、それが生きているということなのです。
人はあらゆる種類の力を持っていて、また、力の使い方もいろいろあります。人それぞれに力の使い方があり、別の人にはまた別の使い方があります。
自分にも何らかの力の使い方があります。何でもいいわけではありません。でも、自分でも十分手応えを感じる力の使い方を持っています。ですから、それを発見して、適切に使ってあげるのです。
ひとつにこだわる必要はありません。いろんな使い方をしてもいいのです。ひとつの使い方に飽きたら、また別の使い方をして、新たな手応えを得るのです。
自分に備わっている力は育てることができます。さまざまな使い方を身につけることができます。力の使い方によって、その手応えも変わります。手応えは変えられるのです。
きっと自分の好きな手応えが得られます。感じられます。ひょっとすると、今まで感じたことのなかった手応えと出会えるかもしれません。
確かな手応えとともに、人は自分の力を使って生きていくのです。
それは、人間の持つ自由であり、人間が生きるということなのです。