毎日の哲学の断片をつづるブログ

日々哲学することを習慣とし、思考と言葉をつづる

言葉の環境の中でわたしたちは生きている。

わたしたちは、言葉から成る環境に囲まれていて、言葉を使わない日はありません。

 

何らかの形で、毎日言葉を使って暮らしています。

 

まるで呼吸するように、と言うとちょっと言い過ぎの感じはしますが、言葉を見、聞き、書くことを自然なこととして日々を過ごしています。

 

文字として書かないとしても、頭の中で、いつだって言葉は湧いてきます。口に出さなくても、言葉は頭の中で、無言で流れます。

 

言葉に明確にならなくても、言葉以前の断片のようなものが、頭の中で漂っているのです。

 

ただそれを放っておくのか、掴まえて明確な言葉にするのか、いろんな選択肢はあるものの、いずれにしても、頭の中ではなにかしら言葉めいたものが巡っているのです。

 

もはや現代においては、言葉のない世界は考えられないわけで、いつでもどこでも、自分の中でも周りにも、言葉で溢れているのです。

 

わたしたちはすでに言葉の世界に住んでいて、言葉の環境の中にいるのです。

 

それは、地球という環境の中に、あるいは、地球の持つ自然の中にわたしたち生き物は住んでいるように、現代では、言葉という環境の中に住んでいるのです。

 

わたしたちは、積極的に、意識的に、息をしているわけではありません。

 

もちろん、酸素を求めています。呼吸することを求めています。ですが、呼吸をしようと、意識して息をしているわけではないのです。

 

無意識に、空気を吸い、息を吐いているのです。

 

言葉はもはや、わたしたち人間にとっては、このような状況です。

 

無意識に、言葉を見、聞き、そして、言葉を発し、書いているのです。

 

自分の身体が、環境とともに、環境に適合していきます。身体が環境に適合するように、そもそも備わっているのです。

 

身体は、環境と物理的に切り離されているようでいて、常に周りの環境と呼応し合っています。

 

言葉は、すでに環境の一部としてそこにあります。わたしたちの身体は、環境とともに、そして、言葉とともにあり、言葉に適合するようにして生きているのです。

 

それは意識的でなくても、自然と身体が言葉という環境に関わっているわけで、言葉との関わりが自然なものとなっているのです。

 

だから、わたしたちは言葉と呼応し合っているのです。その断片は自分たちの中にあるし、いつでも、関わり合っているのです。

 

環境は、わたしたちにとって一方的なものではなくて、いつも双方向の関係を持っています。その関わりの中で生きているのです。

 

言葉との関わりも、もはや環境の中で生きることなのです。