わたしたちの身体は、ただそこにあるのではありません。いつも身体は周辺の環境と関わり合っています。わたしたちが意識するよりも以前にすでにわたしたちの身体は環境と関わっているのです。
常に、わたしたちの身体は応答を求めています。常に関わり、そして、その応答を求めているのです。作用・反作用です。
だから、日々の生活の中でも、「手応え」を求めているのです。手応えのない日々は、人を無感覚にします。
わたしたちの中のフィードバックの機構が、常に、何かアクションを起こすとその分のフィードバックを求めているのです。
求めているというか、フィードバックを前提としているのです。
ですから、大袈裟なことでなくても、自分の生活の中で、自然にできることを行って、そのフィードバックを確かなものにすることが重要なのです。
自分を取り囲む環境の中で、常に環境からの関わりは存在していて、ただその関わりに対して、何か応答をすればいいのです。
無理に何かをしようとして、そして、無理やりに何かしらの応答を求めようとしなくてもいいのです。
自然な関わりは、そこにあるわけですから、ただ自分たちはそれに応じるだけでいいのです。
無理に応じるのではなく、自然に任せて応じるのです。
わたしたちはいつも手応えを求めていますが、同様に、わたしたちを取り囲む環境も、手応えを求めているのです。
わたしたちが関わろうとすることは、実はそれより以前にわたしたちの周辺が関わる備えをしていて、実はただわたしたちはそれに気付いて、応じるだけでいいのです。
それで十分手応えは感じられるし、わたしたちを取り囲む環境とわたしたち自身の間での手応えの循環が、生を与えてくれるのです。
わたしたちはただそこにいるだけで、目の前にあるどんなものからでも、手応えの源を見出すことができます。わたしたちがそこでできることが、手応えの源流であり、ただそこに軽く手を押し当てるだけで十分なのです。
それ相応の応答は必ずあるし、その応答で実は十分なのです。
わたしたちはただ、そのような流れの中にあって、関わりの中にあって、ただ応じて、そして、その応答を感じればいいのです。そこに、確かな手応えはあるのです。
ただ呼吸をするように、ただ水の流れに身を任せるように、その流れの中で、環境とともに、応答し、応答を感じ、そのような循環の中に身を置くのです。
わたしたちはいつも手応えを求めていますが、実は最初からそこに手応えの源はあるのです。わたしたちを取り囲む環境の中で、わたしたちは呼応し合うのです。