人は誰しも不安を抱えています。不確実なこの世界の中で、人間は確かさを求めて生きています。
この世界はあまりに混沌としていて、自分のこの先の未来もどうなるか分かりません。不確実な世界の中で、不確実な未来に向かって常に生きているのです。
ですから、人は確かさを求めます。地面の上に確かさを持って自分の足で立ち、目の前にあるものを自分の手でつかみます。手や足は、自分の足場や居場所に確かさを与えようとしているのです。
目の前に広がる景色は、わたしたち人間の備える知覚システムによって形作られています。混沌とした、モザイク状の視界は自分たちに不安を与え、一歩も前に進めません。
ゲシュタルトの性質により、わたしたちは目の前にあるものをまとまりのあるものとして捉え、輪郭を与えるのです。輪郭化によって、目の前に広がった世界を確かなものにして生きていけるようにするのです。
混沌とした不確かな状態に対して、輪郭を与えようとするのは、視界だけではありません。
この世界に対する理解も、わたしたちが安心して生きていけるように、輪郭を与えようとする試みです。
ですから、人はこの世界に対して、常に確かさを求めているのです。目の前にあるものを自分の手で触って輪郭を確かめ、周辺を歩いてみて、土地の輪郭を確かめるのです。
目から入ってくる視界に対する輪郭だけではなく、手触りも、匂いも、味も、あらゆる感覚は、輪郭のないものに形を与えようとする行為の結果得られたものです。
文字を書く行為も、確かさを求める行為です。もやもやとした、混沌の状態から言葉を集めて並べ替えて、意味のある文章に仕立てていくのです。
「意味がある」と感じることも、「意味」という輪郭を自分の中に持つということであり、言葉は確かさを自分に与えてくれるのです。
曖昧な状況を、言葉にする。この行為自体が、目の前にある、あるいは、頭の中に湧いた不確かなものに、輪郭を与えようとするものなのです。
頭の中の不安はまさに不確かさであり、この不確かさを解消しようと、言葉によってまとまりを作って輪郭を与えることで安心を得て生きていこうとするのです。
自分にとっての確かな行為は何でもいいのです。それが自分にとって確かであれば、土を耕して種を蒔けば芽が出る、そんな手応えを持っているなら、何でもいいのです。
そもそも、この世界は輪郭のない世界です。ですが私たちは輪郭のない世界に形を与えることができます。部分的にでも、不確かな世界を確かにできるのです。