毎日の哲学の断片をつづるブログ

日々哲学することを習慣とし、思考と言葉をつづる

情報に囚われた脳から、時間を作り出す身体へ

人間は、身体に基づいて生活を送っているわけですが、忙しい日々は、自分たちが人間として生きる「時間」を奪ってしまいます。

 

人間は、他の動物と違って、自分の中に「時間」を持っています。主観的に感じられる時間です。忙し過ぎると、時間を感じる暇もありません。

 

特に現代は、情報過多で、生産性や効率化、正解を求められる時代ですから、そのことにただ反応して適応しているだけになって、ゆっくりとできる時間なんてありません。

 

人間の脳や神経系は情報に反応しやすく、情報が過剰になるとそれに囚われて、時間を失ってしまいます。そして、時間を失った脳や神経は、自分の身体を一方的に引き込んでしまいますから、身体性に基づくわたしたち人間は時間を失ってしまうばかりではなく、身体性から切り離されてしまいます。

 

そうなってしまうと、頭だけが情報に取り込まれて、自分自身は身体に根付いた生活そのものからも断絶状態になってしまいます。

 

もはや、生活する人間では居られなくなってしまいます。

 

わたしたち人間は、身体があり、手があり、足があって、それによって日々の習慣を形作っていて、この総合的なものによって生活を形成しています。

 

その生活の実践があって、わたしたちは自分の中に自分の時間を作り出しているのです。

 

様々なことを感じ、考え、何かを実践することに実効性が生まれるのは、そのような時間があってこそです。

 

脳や神経は過剰な情報に取り込まれやすい一方、身体自体は本来時間を作り出す機能を持っています。

 

意識は、暴走しがちな脳にばかりただ囚われるのではなく、身体の方にも向けることが重要です。意識をちゃんと自分の身体に配分すれば、身体は自然と時間を取り戻そうとします。

 

そして、身体とともに脳や神経も落ち着きを取り戻します。

 

わたしたちは、意識をただ囚われるままにするか、身体に向けるかの選択を持っています。

 

身体は、本当は時間を作り出す準備ができています。あとは、自分の意識をどこに向けるかです。

 

わたしたちの生活や実践は、身体に基づいているのです。そして、身体によって作り出した時間の中にあるのです。その時間の中でわたしたちの生活は育まれるものなのです。

 

日々の生活は、わたしたち人間の生きている場所です。ただ環境に飲み込まれるだけの生活ではないのです。

 

ただ振り回されるのではなく、身体に根付いて、ゆっくりとした時間を取り戻して、そして、自分の生活も取り戻すのです。