毎日の哲学の断片をつづるブログ

日々哲学することを習慣とし、思考と言葉をつづる

自分の哲学は日々の生活の中に表れている。

人はみな、自分の哲学を持っています。自覚していなくても、自分なりの哲学を自分の中に持っているのです。

 

それは、十分に言語化できていないかもしれませんが、身体による振舞いに表れています。日々の自分の習慣に表れています。

 

逆に言えば、いくら言葉を使って、「自分はこのような哲学を持っている。」「自分の哲学は〇〇だ。」と言ったところで、その哲学(と言語化しているもの)が日々の実践に表れていなければ、それは真に自分の哲学ではありません。

 

確かに、世の中にはいろんな哲学の考え方があって、それらの幾つかに感銘を受けてその哲学を実践しようとすることはあります。そして、その哲学を自分のものにしていくということもあります。

 

その意味では、先に、「自分は〇〇の哲学を大切にしている。」と宣言すること自体は問題ありません。

 

大切なことは、その哲学を自分が実践していて、自分の習慣となっていて、自分の身体にその哲学が染み込んでいるか、ということです。

 

たいていの場合、自分の哲学は、自分の中で育ち、自分の中から形成されていきます。外から哲学を自分の身体にパッチワークのように貼り付けても、すぐにはがれてしまいます。

 

哲学は、自分の身体に衣服を着るようにして身につけるものではなく、自分の身体の中に哲学が形成されていくものなのです。

 

ですから、むしろ、日々自分がどのようなことをし、それに伴ってどのようなことを考え、そして、大切にしているか、そういったことが哲学においては重要だということです。

 

きっと、日々の習慣に自分の哲学は表れています。

 

だいたい決まった時間に起きて、朝の支度をし、出かけ、決まった時間に夜を過ごして寝る。そういった整った生活リズムが自分の哲学を考えるのに重要というわけではありません。

 

一見、生活の習慣が乱れていようとも、昼夜が逆転していようとも、その営みの中に自分の哲学は表れているのです。

 

その生活は確かに自分だけのものであり、その生活を意識的にしていようともしていなかろうとも、その中に、自分の哲学はあるのです。

 

自分の哲学を言語化するという意味では、自分は日々何をしているのか、何をしようとしているのか、そして、何を考えているのか、そういったことを自分なりに読み取っていく作業が重要かもしれません。

 

それこそが、自分の哲学を新たに再構成していくことにつながります。

 

自分の哲学は、言葉で主張しなくても、身体に身についています。習慣として日々実践されています。生活の中に、すでに自分の哲学は表れているのです。