毎日の哲学の断片をつづるブログ

日々哲学することを習慣とし、思考と言葉をつづる

人は自分の中に想像上の構造体を持っている。

人は、自分の中で、色んなことを想像し、想像したものに輪郭をつけて形にしています。

 

頭の中には色んな断片があります。想像上のイメージの断片があって、それらを寄せ集めて形にしているわけです。

 

よりリアルに想像できているものは明確な形があって、想像上の構造体を形成しています。DNAのらせん構造のように、特有の構造体を持っているわけです。

 

構造体はイメージだけではなく、言葉から成り立っている場合もあります。言葉は直接的に意味を与えてくれる概念であり、構造体そのものを形成する場合もあれば、イメージと組み合わさってその一部として使用されることもあります。

 

そのようにして、想像の構造体は、より明確な意味を与えるものを形成することができるわけです。

 

想像の構造体は、自分の中では、自分にとって分かりやすい形を取っており、その意味で自由自在です。どのような形でもいいのです。

 

2次元の地図のような場合もあれば、3次元の立体的な建築物のような場合もあります。

 

分子が寄り集まって分子集合体となり、それがタンパク質であったり細胞であったりするように、想像の構造体はそれ特有の複雑さを持つわけです。

 

そもそも、言葉は想像の構造体の一種とも言え、文字としての記号はイメージを持つと同時に意味を持っているわけです。

 

文章そのものも文字の体系であり、一種の構造体なのです。それが自分の中で立体的な構造を持っていても、何も不思議なことはありません。

 

その意味で、想像の構造体は意味そのものでもあって、自分の中ではその構造自体で意味を与えているわけです。

 

ですが、自分の中の想像の構造体は自分だけのものであり、それを実際のものとして実物のものとして現すのは非常に困難です。

 

とは言え、例えば、絵のようなものとして書き写すことで実現しようとすることもできます。

 

別の方法としては、その想像の構造体を言葉で解体して、文章として書き写すことも可能です。物語にすることも可能です。

 

完全に再現できないとしても、それなりに文章として再編集して物語にすることも可能で、その意味で言葉による物語は、その構造体の設計図のようなものにもなり得ます。

 

そのようにして、人は自分の中に、自分特有のさまざまな想像上の構造体を持っています。建築物のようなものもあれば、地形のようなものもあり、その形態は自由自在です。

 

そのような構造体は自分の中の想像上の世界でもあり、自分が捉え、構築する世界とも言えるわけです。