毎日の哲学の断片をつづるブログ

日々哲学することを習慣とし、思考と言葉をつづる

人間は、脳内で生み出したものを物語として排出せざるを得ない。

人間は、見たもの、体験したことなどあらゆる知識や情報を脳内に取り込みます。そして、脳内で自分の思考や想像によって混ぜ合わせて、結果的にそれらが大きく膨らんで、外へアウトしたい欲求に駆られます。あるいは、脳内で内圧が高まって外へ出さざるを得ない状況になります。

 

人間の言葉は、脳内からそれらを外に出すのに便利な道具で、脳内にただ蓄えておくのではなく、言葉として紡ぎ出すわけです。物語とは、人間の脳内で生み出され思考と想像の混合物であり、言葉がそれを外へと排出してくれるのです。

 

人間は、何かの必要なことのために物語を作り出すのではなく、脳内に溜まった内圧を外に吐き出すためにそうするのです。そうせざるを得ないです。

 

自分の話を誰かが聞いてくれたら、案外それで済むのかもしれません。自分の脳内に溜まった考えを誰かが静かに聞いてくれて、うなずいてくれて、受け止めてくれたら、それで十分なのかもしれません。

 

人は会話が大好きだし、人と話をするのは大好きだし、人に話を聞かせるのは大好きなのです。お喋りは好物なのです。

 

ですが、自分の話を聞いてくれる人がいなかったら、また、自分の中にあるものを上手に誰かに伝えられなかったら、何らか別の方法で出さざるを得ません。

 

その場合、脳内に溜まった混沌を物語にして、排出せざるを得ないのです。

 

人によっては、それが絵画であったり、詩であったり、歌であったり、彫刻であったりするのかもしれません。そして、それらも排出方法のうちなのです。

 

物語はそれらを含んでいるのであり、言葉は物語を作るひとつの便利な道具なのです。

 

そして、排出された物語があって、人はそれに基づいて何かを形にしようとします。車も、飛行機も、ロケットも、物語が形になり、実現したものなのです。

 

物語は想像物であり、妄想物かもしれません。それが本当かどうかなんて関係ありません。脳内から生み出された産物ですから、それが真実かどうかなんて、また、実現するかどうかなんて関係ありません。

 

それが現実のものとなるかどうかはその後の話であり、実現されるものはされるし、実現されないものはされない。ただそれだけのことなのです。

 

そんなことよりも、人間は物語を創造したいのです。もっと言えば、それよりも以前に、脳内にインプットした情報や記憶を、思考と想像によって生み出した混合物を外に出したいのです。

 

脳内で高まった内圧としての物語を、外に排出せざるを得ないのです。