毎日の哲学の断片をつづるブログ

日々哲学することを習慣とし、思考と言葉をつづる

人間は自由自在に「新しいことを考える」という営みをしている。

人間は、自分の頭の中にある情報を使って、新しいことを考えることができます。

 

考えてみたことを言葉にしてみて、そこに何か意味を見出そうとします。これまでにも多くの考えがこの世の中には蓄積されていますから、それらを援用しながら、その上で新しい考えを乗せてみて、組み合わせて、さらに新しい考えを生み出そうとします。

 

人間は言葉だけを操るわけではなくて、視覚的なことを使います。

 

目をつぶっていても自分の中で、イメージを想像することができます。形を想像できます。それを実際にノートやホワイトボードに描きだして、図形っぽくして、分かりやすくします。

 

こういったことも考えることの助けになります。

 

イメージにすると、しばらくはこのイメージは動かないので、それをベースに考えて付け足すことができます。イメージにイメージを組み合わせることもできます。

 

言葉にしていく作業も、あいまいだったものを言葉として固定化する意味があります。頭の中で浮かんだ考えはいつまでも保持できるわけではないから、いったんノートなどに書き出しておくのです。

 

そうすれば、その考えはあいまいなままではなく、消えてなくなりもしません。だから、考えるときは、ただ頭の中で考えるだけではなく、書き出して言葉として、というか、文字として書き残しておくことが便利です。

 

イメージや文字として考えを表に出すと、それをベースに、さらに考えを展開することができます。考える過程においては、それが意味を成すとか成さないとか気にせず考えを広げて、実験的にためることができます。

 

考えに意味があるかどうか、整合性があるかどうかは、今までの自分の中に積み上がった考えが判断する基準となり、それを自分の頭で無意識に決めていく事ができます。

 

直観のようなものです。自分の無意識の判断は直観でいいのです。

 

そして、これまでにおぼろげだった、あるいは、無かった考えが、それなりのまとまった考えになります。

 

この考えをこれまでの情報や知見と照合しながら、ブラッシュアップすることもできます。

 

考えることは基本的に自由ですから、その考えを変えたり、展開させたり、180度に反転させてみたりすることもできます。とにかく、考えることとは自由自在なのです。

 

考えることは、人間の営みのひとつです。1日たりとも、考えない日はありません。絶えず人は考えています。

 

その営みに意味があるのかないのか、関係ありません。ただ、自由に考えることができるということです。