毎日の哲学の断片をつづるブログ

日々哲学することを習慣とし、思考と言葉をつづる

この世界を自分たち人間で維持するのか神に委ねるのか。

人は、自分たち人間でこの世界を維持していきたいと思っているのでしょうか。それとも、自分たち人間ではなく、神のような絶対的な存在によって維持してもらいたいと思っているのでしょうか。

 

少なくとも現代は、自分たち人間によってこの世界を維持していこうとしているように思います。

 

例えば、経済格差があっても、世界の貧困問題が解決しなくても、自分たちの自由をベースに、資本主義経済システムでやっていこうとしています。

 

かつての共産主義社会もそのほとんどが全体主義に陥って繁栄することができない経験をし、そのことを皆知っているので、たいていの社会は民主主義と自由主義を選択し、資本主義経済の体(てい)をなしているわけです。

 

とは言え誰もがそのシステムのままでいいなんて思っているわけでもなく、それに代わる良いシステムがあれば、それでもいいけどなとは思っているわけです。

 

ですが、なかなか思い当たらないために、現状維持でここまで来ています。これから先も変わらないと思っているわけです。

 

自分たち人間が自分たちの力を手放さずに、無茶でも何でもこれまで通り何らかの統治システムを維持していくという中で、人間を超える神的な存在に期待する人たちもいるでしょう。

 

人間の権力は自由の思想とも結びついていますから、自分たちの自由を捨て去ってでも、自分たち人間で運営していくくらいなら、神の手に任せた方がマシだろう、あるいは、その方が素晴らしい世界になるだろう、と信じるわけです。

 

確かに人間は動物であり、野蛮な生き物であるわけで、他のどの動物よりも狡猾で恐ろしい生き物ではあることは間違いありません。そんな人間たちで作る世界こそ恐ろしいのであり、それより神的な絶対的な力に頼った方がより良い世界のはずだというわけです。

 

ひょっとするとその世界は、人間の自由は一切ないかもしれません。ですが、自由を手放すことによって人間の苦しみから解放された涅槃の世界を生きられるかもしれません。

 

人間に飼いならされた猫が体験している人間との交流は、野生猫が味わったことのない極上の世界であり、かつての自由だった猫がその自由を手放したことによって得られたパラダイスとも言えるかもしれません。

 

いつまでもライオンのようにして野生で生きるより、人間に上手に飼いならされた猫の方が安心安全で豊かに生きているかもしれません。

 

人間はそれでも、自分たちの自由を手放さずに、神に力を明け渡さずに生きていくのでしょうか。