人は営みというものが好きで、経営にしても自営にしても家族にしても何にしても、常にそれが生き物のように維持したいのです。
1日のうちに、朝起きて支度をして、お出かけをして帰宅する。そのサイクルにしても、時間的な営みとして成立するようにしていたいのです。
空間にしても、自分の家の中のリビングをまるで生き物のようにしていたいのです。料理を作って食べたり、テレビを観て過ごしたり、のんびりしたりして、まるでそこに生命としての営みがあるようにしていたいのです。
人は生命めいたものの中にいると安心します。それは、人間自身が身体から成り立っていて、自分の中のたくさんの細胞によって成り立っていて、細胞たちのおかげで自分が人間という生命として存在しているように、自分自身も生命めいたものの中で、また、生命めいたものの一部としてそこにいたいと思うのです。
自分たち人間は、自分の内部に生命を保持し、それら生命によって成り立った生命めいた存在であり、同時に、自分自身が自分より大きな生命めいたものを構成する一部としての存在なのです。
生命とは何か。少なくとも生命の代表的なものは人間であり、わたしたち人間は自分たちを生命だと信じています。
そして私たち人間は、一人では生きていけない寄る辺ない存在であり、自己完結できない未完全な生き物なのです。それは、すべての生き物においても、そして細胞においても同様なのです。
寄る辺なさを抱えたわたしたち人間は、常に安心できる存在を求めていて、そこに生命めいた存在があると、そこにいたいと思うのです。
その営みを自らがその一部となって作り出そうとします。生命とは固定化されたものではなく、常に同じ状態を取り得ない諸行無常の存在であり、動的平衡の世界なのです。
だから人は、毎日のようにせっせと何かをして、そこに生命めいた空間を作り出すとともに時間的な流れを作り出すわけです。
だから、常に何かを営んでいたいし、維持していたいのです。発展させたいし、変えていきたいのです。
その営みこそ生命のようであり、昨日までに形成されたものが明日に向かって新たに形成されていくのです。その空間そして時間の中で、人は内側から支え、自分自身がその一部として構成し、そして、全体性としての営みを形成するのです。
それは生命のようであり、その中にわたしたちはいたいのです。
足場のない、そして、寄る辺のない、未完全な私たち人間は、生命の間で、生命を維持し、生命の一部となり、生命を構成し、営むのです。