資本主義社会は、常に消費することを前提としています。あらゆるものが生産され、生産されたものが消費される、この循環によってこの社会は回っているということです。
ただ生産するだけでは、この社会は回っていきません。生産したものを人々が消費したいと欲望しなければなりません。そうでないと、ただ生産しっぱなしになって在庫を抱え、ゴミの山になります。
むしろ、消費する欲望の方が重要です。生産の欲望に対して消費の欲望が小さいと、生産したものが余って在庫を抱えることになります。資本主義経済では、在庫が余るようでは困るのです。常に消費が生産を上回ることが望ましいのです。
生産側としての企業も、生産する欲望が求められます。消費と生産の循環は、それぞれが連動しつつも、同時に、それぞれは、独立していて、消費は消費者の欲望に、そして、もはや生産は生産者の欲望にも支えられています。
消費者の欲望に基づいて生産者は生産物を生産することに先回って、生産者は消費者の欲望を作り出す生産が求められます。そして、生産者は生産者自身の欲望に基づいて生産することがそれを可能にするのです。
もはや、消費の欲望はそれ自身で独立して、生産の欲望も同様にそれ自身で独立しているのです。
単に消費の欲望にのみドリブンした生産システムより、消費と生産が各々独自に欲望したシステムの方が、システムの循環性は高いのです。
一体、人間はどれだけの欲望を持っているのか。消費者は消費の欲望を持ち、生産者は生産の欲望を持っていて、貪欲なほどこの社会は円滑に回っていくというわけです。
ある段階から資本主義経済は、まるで生命性を帯びたように自律的に循環しています。自律的な循環を人間が支えています。
人は、消費者側に回っては自らの欲望を駆り立て、生産者側に回っては生産の欲望を駆り立てるのです。このシステムの各パーツを担う人々がみなで欲望を駆り立てて、このシステムを回しているのです。
株式市場の拡大は、欲望の先送りのようなもので、今現在消費の欲望がないから、それを未来に回すのです。これも欲望のうちであり、資本主義経済の一部でもあります。
もはや、未来への消費の欲望と生産の欲望が、資本主義経済の循環を支えているのです。
人間は、この拡大した、資本主義経済を、自分たちの欲望で支えられるのでしょうか。そんな欲望はそもそも人間にあるのでしょうか。人間の深いところに自分でも気づいていない欲望が眠っているのでしょうか。