毎日の哲学の断片をつづるブログ

日々哲学することを習慣とし、思考と言葉をつづる

幸せとは、経験によって獲得した自分だけの感情。

人は幸せを、どのように感じるのでしょうか。

 

幸せは、人それぞれ違うものであり、自分自身の幸せは自分にしか分かりません。他人の幸せはその人の幸せであり、自分はその人の幸せを知ることができません。

 

その意味で幸せとは自分だけが自分のものとして感じるものであり、自分のことに関することと言えるわけです。

 

もちろん、他人の幸せが自分の幸せと関係ないとは言いきれなくて、自分がその人が幸せになることで幸せを感じるという場合もあります。その意味では、他人の幸せは自分事としての幸せでもあります。

 

ですが、それでも、あくまで自分事としての幸せであり、やはり、幸せとは自分が感じるものだと言えます。

 

「幸せとはこのような感情である」と、定義したり、説明したりするのは難しいものです。そもそも、幸せの感情を言語化すること自体が困難です。

 

ただ、確かに、自分の中で、「幸せとはこのような感情だ」と言えることはあり得るわけで、その意味でも、幸せとは自分だけの感覚、感情であり、独自のものであるわけです。

 

自分の中に、色んな種類の幸せがあります。幸せは1つでありません。そして、ひとつの種類の感情ではありません。それぞれ独立して、独自の幸せであるわけです。

 

その意味では、自分の中の幸せとは、何か抽象的なものというよりは、具体的なものだと言えます。

 

具体的な経験が、自分の中に幸せを形成するわけです。以前まで感じたことのなかった感情を、ある具体的な経験を通して感じて、それを幸せだと感じるわけです。

 

その意味で、幸せとは経験して獲得するものであり、学習して獲得するものと言えます。

 

一度その幸せを学習して身につけていますから、振り返ることで、その幸せを再度感じることができます。その意味で、幸せは具体的であると言えます。

 

言葉の性質上、このようなものを幸せと呼ぶ、ということはみな共通して知っているし、言葉はそのようにして学ぶものではありますから、幸せは自分自身の個別の感情であるとは言え、ある程度他の人とも共有できる感情ではあります。

 

昨今だと、神経生理学的に、幸せとは、セロトニンとドーパミンとオキシトシンが分泌するときに感じる感情であると説明できるかもしれません。

 

ですが、だからと言って、人間がみな共通して幸せを持っていて、感じているとは言えないわけで、自分で体験して学習して初めて、自分は幸せであるとか、自分は幸せを感じる、と言えるわけです。

 

その意味で、幸せは自分が経験して身につけた自分だけの感情であるわけです。