毎日の哲学の断片をつづるブログ

日々哲学することを習慣とし、思考と言葉をつづる

自分の感情に基づく形容詞が「やりたいこと」を支える。

「面白い」「美味しい」という自分の心や身体をベースとした形容詞は、自分自身を内側から支える原動力になります。内的動機づけになります。

 

その対象を面白いと感じているなら、自分の面白いという感情をコアにして、その対象に取り組み、継続し、自己成長したり発展させたりすることができるということです。

 

お寿司が美味しいから、お寿司を食べるのであり、だから、お寿司を食べることが好きなのであり、「やりたいこと」という意味では、「寿司を食べる」はやりたいことと言えるわけです。

 

自分にとっての「やりたいこと」は、それ単体で成立しているのではなく、その「やりたいこと」が面白かったり、美味しかったりして、自分の内側から発する感情に基づいている、また、支えられているということです。

 

面白いや美味しいには、それらの根拠がなく、それら自身によって支えられています。一方、やりたいことは、それ自身を面白い、あるいは、美味しい、などの自分の感情を根拠にしているわけです。だから、「やりたいこと」はそれ単体では成立しないわけです。

 

野球が好きという場合、きっと野球が面白いのです。自分なりに、自分だけの野球の面白さを知っているのです。野球が面白いと自分自身が感じているのです。外側から与えられた「面白い」ではなく、自分の内側から「面白い」によって支えられているのです。

 

野球が面白いから、野球を上手くなりたいわけです。そして、野球の練習をするのです。今日出来なかったことを明日できるようになるのです。工夫と改善を繰り返して、野球が上手くなっていくのです。

 

野球が上手くなって成長していくことを支えているのは、自分にとって野球が面白いからであり、野球の面白さを自分自身が知っているからです。野球が面白いからこそ野球はやりたいことなのであって、野球を絶え間なく続けられるのです。

 

ホームランを打つことや年間にホームランを何本打ったかは、目標となり、それに到達することは喜びかもしれませんが、それは外側から与えられた指標であり、それが達成されないとつらかったりして、それだけでは、野球を継続するフックにはできません。

 

野球が面白いと感じているからこそ、自ら野球をするのです。野球をやりたいのです。

 

大切なことは、面白い、美味しいといった自分の感情に関係した形容詞で表現されるものであり、それが、自分自身をその対象に向き合わせ、自ら継続して取り組み、自分を成長させてくれるのです。