自分の中に生まれる面白さは、強烈なものではなく、心の中に静かに湧いてくる感じがします。
強制するものではありません。あくまで自然に自分の中に芽生えるのです。
これまでの経験や記憶、思考パターンが自分の中にあって、何か情報に触れると、自分の中にあるものと関係して混合して、面白さというものが生まれるのです。
面白いかどうかは自分しか分からないし、自分しか感じません。そう感じるかどうかです。
面白さは自分の気持ち、感情、心とつながっています。そうでなければ、それが面白いかどうかが判断できません。そう判断しているのは、自分の心なのです。
ですから、自分が面白いと思うことは、自分の中にしか育たず、自分の中からしか育たないのです。
面白さが内側で育っていくものと考えると、そこにはきっと面白さを育てる養分があるわけで、それは自分の中にあるということです。
面白さを料理して作る、ということを仮に考えると、自分の中に面白さを作るための具材があるということです。料理道具も調理器具もあるということです。
新たな情報も、具材として加わるだろうし、味付けにもスパイスにもなるのだと思います。
思考は、確かに自分自身の持つ思考パターンであり、それは料理法であり道具であり器具であるわけです。
面白いかどうかはきっと食べてみればわかるわけで、間違いなく美味しいわけです。自分が美味しいと感じるからそれは面白いのです。
それが美味しいかどうかは自分がそのように味を感じて分かるように、それが面白いかどうかは自分がそう感じて分かるわけです。
人間の料理の歴史は長く、その多様性は無限です。無限に食材があり、無限に料理法が、美味しさも無限であり、今は美味しい料理は生まれ続けていて、これからもその営みは絶えることがありません。
それは人が美味しいと感じるからであり、美味しいと感じることが好きだからです。
面白さもこれと同じです。面白さは人が感じるものであり、面白さは絶えず自分の中に生まれ続けているわけです。
今も自分の中の面白さは多様にあって、面白さの種となる材料もたくさんあって、きっとこれから先も面白さは生まれ続けるのです。
それは美味しいものと同じように、面白いものを常に求めているし、好きだからです。
面白さは自分の中に自然に生まれるものであり、いつも面白さを感じ、育てていく備えができています。今でもすぐに面白さは自分の中に見つかるし、感じられるし、この先もずっと生まれ続けます。