毎日の哲学の断片をつづるブログ

日々哲学することを習慣とし、思考と言葉をつづる

ただ自分の中にある面白さが育っていく。

自分にとって面白いと思うことってたくさんあると思います。

 

人には知的好奇心というものがあって、色んな情報に触れる中で面白いと思うことにたくさん出会います。

 

面白いと感じると、そのことが気になって色々と情報をかき集めようとしてしまいますし、かき集めた情報を自分なりに解釈して、さらに面白い点を見つけてしまう。

 

そのようにして、自分が面白いと感じることをどんどん自分の中で展開させて育ててしまうわけです。

 

自分にとって面白いことは、ただそう感じるだけでなく、実際に手をつけてみてもいいのです。

 

面白いと思うことをやってみたり、それが売っているものであれば買ってみたり、とにかく頭の中だけに留めず実践してみるということです。

 

自分が面白いと感じたことであるわけですから、実際やってみても面白さはそこにきっとあります。

 

そこに過剰に面白さを求める必要はなく、ただ面白いと感じられればそれで十分です。内的な動機に基づいているわけですから、それは考えるだけでも十分楽しめるし、自分なりにやってみればその分だけ楽しめるわけです。

 

そこに、過剰さは必要ないのです。

 

面白さは育つものです。面白いかどうかは自分がそう思うかどうかでしかないから、後は自分の中で育っていくだけなのです。

 

自分にとっての面白さは、自分の知的好奇心を刺激するものであったり、自分の興味に関係していたりして、そのように感じることは無理なく自然なものです。

 

ただ面白いと感じる気持ちに任せて、自分の思考や振る舞いもただ面白さを中心に任せればいいのです。それはきっと自分の心にとって栄養のようなものだと思うし、健康的であるはずです。

 

そこに、何のジャッジも要りません。優劣は関係ないし、良し悪しもありません。ただ面白いかどうかであって、ポジティブなものです。

 

頭の中の思考は自由に展開するようになっているから、面白さが自分の中で見つかり、それが核となれば、後はただ自分の頭の中で漂わせればいいのです。自然と育って、実っていくのです。

 

それを形にしたくなるかもしれないし、実物として触ってみたいと思うかもしれないし、それと実際に関わってみたいと思うかもしれません。

 

自分の中の面白さが核になっていますから、それはずっとそこにあるわけで、大切にはしつつもそれと戯れるようにして居ればそれで十分なのです。

 

面白さは自分の中で自然に生まれるし、自分だけの面白さであるわけだから比較も優劣もそこになくて、ただ面白さがそこにあるだけなのです。