毎日の哲学の断片をつづるブログ

日々哲学することを習慣とし、思考と言葉をつづる

人間は不確実でギャンブル的な世界を生きている。

この世界は、不確実な世界です。人間の性質が、そもそも曖昧で確実ではないのですから、人間たちで作られるこの世界は、不確実になってしまいます。

 

経済活動などは特にそうで、働いている人は基本的には不確実なものを引き受けて仕事をしています。やってみて、どうなるか分からない不確実、不安定な仕事をしているのです。

 

人間の性質を反映している市場はまさに不確実な世界です。常に新しい市場は作られているし、株価も変動しているし、今日の価格が明日どうなるかなんて分かりません。ギャンブルの世界です。

 

自分は確実性の高い仕事と思っていても、実は自分が思っているより不確実性の高い仕事に放り込まれている可能性があります。

 

不確実な仕事を引き受けているのに、自分は確実に仕事をこなそうとしている。または、自分は確実に仕事をこなしているつもりでも、会社自体あるいは会社の属している業界自体が不確実な世界の中にいるということもあります。

 

確実な世界の中にいる会社なんて、実際にはないのですが。

 

自分たち人間は、自分たち人間の性質上、不確実な世界しか構築できないわけですから、そのことを知らずにこの世界にいると、ずっと振り回されている感覚になります。

 

株式市場の世界に生きていると想定すると、株価は日々変動し、いかに不確実な世界にいるかということがよく分かると思います。

 

ですが、そうでなくても、この世界は、どこでも不確実な世界なのです。

 

考えてみれば、宗教も神も、人間の信じる力、信念によって成り立っているわけで、実体はありません。ですが、この世界では昔から存在しています。

 

そもそも、人間は曖昧なもの、不確実なものをずっと相手に生きてきたのです。言葉なんてものはその範疇です。

 

言葉は、確実だろうが確実でなかろうが、いつでもどこでも使えます。人に力も振るえる、自分にも振るえます。人は、不確実である言葉の力によって動くのです。

 

想像しているよりこの世界は不確実で、ギャンブル的です。

 

今日までのことが確かに確実であったとしても、明日どうなるか分からない不確実な未来に向かっています。常に、不確実な世界に向き合っているのです。

 

そして、そもそも、人間が曖昧で不確実なのです。むしろ、不確実であることが嫌いではないのです。

 

確実な世界、確定された世界では人間は自由ではありません。いつも人間は不確実な世界の方に逃げようとします。人間は不確実な世界を求めているのです。