毎日の哲学の断片をつづるブログ

日々哲学することを習慣とし、思考と言葉をつづる

人は認識する世界を生きている。解像度を上げて現実を変えていく。

人間には目があって、色んなものを見ることができます。視覚化されたものは認識できて、取り扱うことができます。

 

言い方を変えると、見えないものは認識できないので取り扱うことはできません。当たり前です。

 

人間が見るものには、目の前に広がった視覚的なものだけではなく、自分の中に想像するイメージもあります。

 

人間は、自分の中にイメージを想像することができるのです。

 

広く捉えれば、見るものはイメージだけでなくても、抽象的なもの、概念、色々とあります。

 

人間は、あらゆるものを、自分の中に想像し概念化して、認識することができます。認識する能力を持っているということです。

 

認識できることは取り扱えますが、認識できないものは取り扱えないということです。

 

人は自分の認識する世界を生きています。認識するというフィルターを通してこの世界を生きているということです。

 

自分にとっての現実というのは、自分が認識できている世界ということです。

 

ぼんやりとしていると、認識できるものも認識できません。目のレンズの焦点があっていなければ、見えないものは見えません。眼鏡をかけてはじめて見える世界があるわけです。

 

人は現実の世界を生きていますが、その世界はどれだけ鮮明で、自分はどれだけそれを見えているでしょうか。

 

ひょっとしたら、曖昧な解像度のまま、言うほど見えていないのかもしれません。

 

人は曖昧で、具体的に見えないものは認識できないし、取り扱えません。曖昧なものを曖昧なままにしている限り、認識することはできません。実は目の前にあるのに、認識できていなくて、無いと思い込んでいるかもしれません。

 

現実を変えよう、世界を変えようと思う場合、人間はその対象を認識しなければなりません。

 

現実を変えられないと思っている場合、それは自分の認識している現実が曖昧なのかもしれません。十分に、現実を認識できていないのかもしれません。

 

それは単に、よく見ていないのかもしれません。目を凝らしてみればそこにあるものが、ぼんやりしているために、見えていないだけかもしれません。

 

人は認識できれば、それを扱い、変えることができます。

 

あいまいなままにせずに、よく見て、具体的にする。具体的にして鮮明にする。手に取って触れるようにする。そのようにして、認識の精度を上げていくのです。

 

わたしたちの認識は、意外とぼんやりしているのかもしれません。気付いていないだけかもしれません。

 

ですが、現実を認識できれば、状況を変えられるかもしれません。