人間には、ゲシュタルトの性質があります。
そこに何か、ぼんやりとしたものがあれば、また、穴ぼこだらけでも形めいたものがあれば、それに自ら何かを埋め合わせて、輪郭を作り、形を作り出すのです。そのような性質を、そもそも人間は備えているのです。
人は、目の前に広がるよく分からない世界に対して、明らかにしようとします。世界を読み取り、真実を解明しようとします。ですが、いくら追求しても、明確な答えは見つかりません。
それでも、人は未知の世界に向かって生きていこうとします。
世界を明らかにするよりも前に、人は、そこに自ら世界を与えます。まだよく分からないけど、自分なりに世界を解釈し、世界を構築して、世界に形を与えて、その世界の中を生きていこうとするのです。
その世界が実体のあるものでなくて、自分なりにその世界を想像し、そのような世界を自分の中に創造して生きていくのです。
その意味で人間は創造者です。クリエイターなのです。
実体のあるもの、形あるものでなくても、人は自ら創造するのです。
概念も、意味も、そのようなものであり、哲学とはまさに創造することなのです。
言葉はその代表的なものです。言葉はそもそも正確にそのものを表現するものではなく、与えるものなのです。
よく分からないけど、言葉を与えることで取り扱えるようにし、その言葉でやり取りをするのです。正確さや厳密さよりも、その対象にいかに言葉を与え、取り扱えるようにするか、そちらの方が言葉の性質を表しているのです。
人間はそもそも哲学者であるわけですから、哲学することと言葉を使うことは同じことなのです。哲学は創造であり、言葉も創造なのです。
常に、人は世界に向かって生きていくとき、世界をなぞり、読み取り、理解しようとするかもしれませんが、そんなことはできないわけです。
それよりも、バラバラな世界に対して、自分なりに輪郭を見出し、補助線を引き、形を浮かび上がらせ、そこに新たな世界の構造を創造するのです。
そのようにして、生きていく世界を建設するのです。
実は世界なんてないのかもしれません。世界はそもそも最初はなくて、自分たちが少しずつ建設して作ってきたのかもしれません。
自分たちはクリエイターであるわけですから、無秩序のバラバラの世界から、世界を人工的に構築してきたのかもしれません。
はじめから存在していたのではなく、自分たちが作ってきた世界を世界だと信じて、生きてきたのかもしれません。