この地球は、植物をはじめとする生態系のエコシステムによって見事な循環構造を成り立たせています。
生態系によって生成したものはすべて資源となって循環しているわけです。季節の循環は、まさに地球で生成されているリソースが無駄なく使用され循環している表れと言えます。
春から夏、秋、冬へと移り変わる季節の循環は、ある側面においては、春から夏にかけての時期がまさに豊かさのピークに見えますが、別の側面から見ると、夏から秋が実りの時期でもあります。そして秋から冬もまた、別の側面から見れば、豊かな時期でもあるわけです。
ある側面から見ると、あるリソースはある創造性に使用されますが、その創造物は別の側面においてはリソースにもなり得ます。その意味で、リソースと創造物は両方の性質があり、全てがリソースであり、すべてが創造物であるわけです。
創造に使われるものもあれば、創造されるものもあり、それらはいつでも入れ替わり、両方の役割を持つわけです。
つまりこの世界は、あらゆるリソースがあり、あらゆる場面で創造に使われ、そして、別の場面では創造され、それもまたリソースになるわけです。
すべてのリソースが移りゆく四季を作り出しているのであり、常に豊かさが展開しているわけです。
栄えることも、衰えることも、側面の違いであり、ある側面で栄えることは別の側面では衰えることでもあり、衰えることは栄えることでもあるのです。
ですから、ありとあらゆるリソースがそこら中にあり、そこら中に生まれ、そこら中に捨てられ、常にリソースは絶えることがないのです。
そのような循環する世界の中にわたしたちは存在し、何だって使えるし、何だって作れるのです。そのような混沌とした循環の中にいるのです。
このような世界の中では、何を使ってもいいし、それが例え役に立たなくても、そんなことは関係ないし、放っておいても、それはどこかでリソースになるのです。
だから、遠くに行かなくたって、そこにあるものを拾ってちょっと使ってみたり、ちょっと思いついたことを近くにあるものを使って応用してみたりすればいいわけです。
世界の一部になろうとしなくても、そういったことがすでに世界の一部のことであるわけです。
役に立つとか、意味があるとか、価値があるとか、すでに、それは自分にとってであり、他の人にとってはそんなことは関係ないのであり、関係なくても問題ないのであり、そうであるなら、ただ、自分が好きなものを作ったり、ただそこら中にあるものを使ってみたり、そういうことで十分だということです。