人間生きていると色んなことがあって、気が付いたら日々のことに適応的に生きてしまっているわけですが、できれば、自分なりに、どう生きていくか決めて生きていきたいわけです。
世界は混沌としていて、また、複雑で情報も多く、常にそれらに圧倒されがちですから、その中でどのように自分なりに、世界を構成し、設計して生きていくのか、大変な作業ではあります。
多くの場面で、自分なりに戦略を立てて生きざるを得ません。ただ漫然と生きていると、気が付いたらよく分からない状態に陥ったり、巻き込まれたりして、にっちもさっちもいかなくなります。
自分なりの見通しというか、戦略のようなものが必要になるんです。
とは言え、この世界は規定された世界ではなく、把握することなどできない、開かれた、未知の世界であるわけで、いかようであれ、自分なりに生きるということが必要になるんです。
いったいこの世界をどのように生きるのか。そもそも、世界などあるのか。
その意味では、自分なりに必要な材料、部品を集めて、自分なりの世界を設計して構築するしかないかもしれません。
自分がその世界をそのように捉えれば、それは確かに自分にとっては世界であり、その世界を自分で生きていくんです。
自分で生きていく道は、自分で作っていくというシンプルな答えです。
ただ、そもそもどう生きる、どう生きたいなんて無く、また、分からないわけですから、シンプルでありながらも、作業は簡単ではありません。
そもそも、人間は自分で世界を設計する材料や部品を持っていませんから、それは生きている間にかき集めていったものを使っていくしかないんです。
全ての経験と、それに基づく学習と、身につけたもの全てを活用して、自分なりにその世界を描いていくんです。
きっと、自分が身につけた言語力を使って頭で考える必要もあるし、想像力をたくましくする必要もあるし、身体に基づく無意識の知識=習慣を活用する必要もあります。
自分の世界は、主観的であるし、自分の想像によるものでもあるし、ユクスキュルの環世界のように構築するものであるし、それは他の誰にも支えられるものではないですが、それでも、頼りないその世界を生きていくことに価値はきっとあるんです。
ただ生存のために適応する生き方も、自分の捉えた主観的な世界に適応的に生きる事に他ならず、そうであるならば、生きてきた経験を使って自分なりの世界を設計して構築して生きていったらいいんです。