人間には認知能力があって、自分の意識は常に何かに向けられています。自分で何かを認識し、考え、言葉にすることも出来ます。
そして、人は、人と会話をしているわけです。
一方で、人間は感情を持っていて、自分の中には心があります。いつも何かを感じていています。いつも言葉にするわけではないですが、何かを感じてはいるわけです。
人は、自分と向き合って、自分と対話することができます。自分で自分に向かって何かを言葉にするのです。そうすると、自分の心は反応しますから、そのフィードバックで、心の動きが分かるわけです。
自分の心は話を聞いてもらいたいという気持ちを持っています。ですから、自分で自分に何かを語りかけることで、自分の心は語りかけられたと感じるわけです。心は動くわけです。
そのようなフィードバックを、自分と向き合う中ですることができます。
認知の主体である自分は、言語を操り、思考し、言葉を使って会話をすることができますから、自ら自分の心に語りかけることができるわけです。
心はもっと身体とつながっており、自分の言葉に対しても心が動きます。心が動くとは身体反応であって、自分の言葉で身体は反応するのです。
身体に基づいた自分の心は、まるで無意識下にいるようで、言語を使うことはできないですが、言葉を投げかけることで、身体反応として心は反応するわけです。話を聞くことができているわけです。
身体も心も認知上の主体である意識も、みんな自分であるわけで、身体を通してみんなつながってはいるわけです。
ですが、ひとりの個体である自分は、自分と向き合って、まるで一人二役を演じているように、自分に向かって対話することができるわけです。
確かに、自分の言葉で、自分の心は動きます。言葉を聴いているから心は動くわけです。心は反応するわけです。
言語を操るのが得意な自分と、操るのが苦手な自分の心が、言葉を通して会話をしているのです。
心は話かけてもらうことを求めています。
自ら言葉を発して話はしないかもしれませんが、話かけてもらうことも求めているんです。
自分の言葉で自分の心は癒されたり、安心したり、育まれるのです。そして、強くなり、優しくなるのです。
人はそのようにして育っていきます。認知の主体である自分も学び育っていくし、自分の心もそのようにして育っていくわけです。自分で自分を育てていく感じです。
人はきっとそのようなプロセスを通して、自分になっていくんだと思います。