人は、戦いをしています。誰かと戦っている場合もありますが、それだけではなく、ただ戦っているわけです。
もちろん、自分自身とも戦うこともあるし、何らかの敵と戦っていることもあります。ただ、人は戦っているということです。
もちろん、四六時中戦っているわけではないですが、気が付いたら戦っているわけです。
そこには、何か具体的な対象が無くても、戦うわけです。
「戦う」というと、何か対象に対して戦うという感じがしますが、そういうわけでもなく、対象無しに戦うわけです。
目的語なしに、ただ戦うということです。
他動詞としての「戦う」というだけではなく、「自動詞」としての「戦う」という感じでしょうか。
そもそも、人間には、戦うという性質が備わっているわけです。
戦うということを通して生きているわけです。
戦うということは良くないのではないかと思って、自分の中の「戦いたい」気持ちを抑制しようとしてしまいがちですが、そうではなく、戦うことは自然なことなんです。
ただし、それは必ずしも敵と戦わなければならないという意味ではないし、誰かと戦わなければならないわけではないんです。
戦って相手を打ち負かさないといけないわけではないし、逆に自分が打ち負かされないために誰かを打ち負かす必要もないんです。
戦う性質は、そもそも備わっているわけであって、ただその戦い方は色々あるということです。
そして、自分の中の戦う気持ちを抑圧するのではなく、戦うことに任せるということです。
それは自分との戦いかもしれないし、自分の中での戦いかもしれません。
戦う気持ちは、自分の力を活かすことであるし、エネルギーを出させてあげることであるし、元気でいられることでもあるんです。
言い換えれば、自分のエネルギーを自然と出させてあげる行為として、戦わせてあげるということです。敵や誰かと戦う必要なんてないんです。
自分にとっての戦いとは、一体何なのか。
むしろ考えるべきことはそのようなことです。戦うことが自然な人間にとって、いかに自分を戦わせて、どのように戦うのか、何と戦うのか、何のために戦うのか、そのような問いが大切なのです。
本来戦うことは心地良いことであるし、健康的なことなんです。人間はゲームが好きだし、勝つことも好きなんです。
負けることを我慢して生きるのではなく、勝つために生きるんです。
いかに勝つか。自分にとっての勝ちとは何なのか。そのためには、どのような戦いをするのか。
自分に合った戦いをするんです。