毎日の哲学の断片をつづるブログ

日々哲学することを習慣とし、思考と言葉をつづる

食べ物、コーヒー、そしてお金。習慣によって生成した意味によって生きることができる。

猫に小判」という言葉があります。

 

猫には小判なんて意味ないんです。小判は人間にとっての小判であって、それ以外にとっての小判ではないんです。小判はお金であって、人間だけがその価値を知っていて、意味があることを知っているんです。

 

お金なんてものは、人間の作りだした概念に他ならず、本質でも実体でもありません。ですが、人間にはその価値が分かるんです。

 

とは言え、子供の頃はそんなにお金の価値が分からなかったかもしれません。「子供に小判」と言っても過言ではないかもしれません。

 

ですが、経験とともに、お金の価値を感じるようになるんです。そして、お金は概念だと分かりつつも、その価値を疑うことはないんです。

 

人間にとって、食べ物は価値があります。食べ物は栄養のために必要であり、生きていくために欠かせないものです。

 

ですが、それだけのために食べているわけではなくて、美味しいから食べているんです。

 

ただ、よく考えてみると、最初から美味しかったから食べていたかというとそんなことはなくて、段々と美味しくなっていったんです。

 

食べるという習慣によって、自ら主体的に美味しく食べることも身につけていったんです。

 

コーヒーが子供の頃から美味しかったかというと、そうではありません。コーヒーを飲んでいるうちに、コーヒーを美味しく感じるようになるんです。

 

最初から美味しいのではなく、コーヒーの味を身につけていくんです。習慣がなせる技なんです。

 

そうなれば、もうコーヒーは確かに美味しく、確かな価値であり、確かな意味を持っているんです。

 

習慣とともに、自ら、コーヒーの意味を生成しているんです。

 

お金もそうです。人間がお金を使っていくうちに、お金に意味が生まれたのです。お金に価値が付いたのです。

 

概念だろうがなんだろうが、それを習慣のように、毎日のように、まるで自分のもののようにして扱っていると、次第にその価値が分かってきて、というより、その価値を身につけるようになって、意味が生成されていくんです。

 

人間は、自ら身につけた意味によって生きていくことができます。意味を感じることで生きていくことが出来るんです。逆に言えば、生きるためには、意味が必要なんです。

 

意味があるか無いかに、実体があるかどうかは関係ないんです。客観的な事象かどうかは関係ないんです。

 

それに意味があるかどうかです。自分がそれに意味を見出しているかどうかです。

 

人間は意味を作ることができます。習慣によって学習して自らのものにしていくんです。

 

食べ物であれ、コーヒーであれ、お金であれ、みんな意味があるんです。意味を身につけているんです。

 

猫に小判」は猫にとってであり、人間にとってではないんです。